藤原姓以外の可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 18:30 UTC 版)
『久留米市史』では、西牟田彌次郎家綱(行西)を仁治2年(1241年)の「三瀦荘領家下文」にある「西牟田村名主行西」と同一人物であるとし、行西は、鎌倉幕府の命を受けて西牟田村の地頭として赴任したのではなく、もともと三潴郡に土着していた武士が西牟田村の「本名主」として所領を安堵され、鎌倉幕府の成立に伴って地頭(小地頭)に任命された可能性を指摘している。 しかし、東国出身者であっても地方に土着した後に「小地頭」に任命された例があるので、これだけをもって東国下向説を否定することはできない。佐賀藩西牟田系図も、西牟田氏の初代は家綱(行西)ではなく、その三代も前の讃岐守家直としており、筑後国への下向を鎌倉幕府の成立前としている。 西牟田氏の九州下向の伝承については賛否両論があり、他の多くの地方豪族の伝承と同様に真偽の程は不明である。
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