藤原姓宇都宮氏族説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 18:30 UTC 版)
西牟田氏の出自について、杉山正仲の『校訂筑後志』は藤原姓「宇都宮氏」としている。宇都宮氏は、藤原兼家の三男・道兼の子孫である。しかし、西牟田氏の系図では、西牟田氏は兼家の長男・道隆の子孫となっているので、藤原姓ではあるが「宇都宮氏」ではない。 西牟田氏の系図は、①生葉郡大石村庄屋(西牟田氏の流れを汲む彌吉氏)家蔵のもの(矢野一貞の『校訂筑後国史』に収録)、②佐賀藩西牟田家に伝わるもの(『筑後国豪族旧家系図』などに収録)の二点がよく知られている。 これらはいずれも西牟田氏の始祖である藤原家直を、藤原北家流で関白藤原道隆の後裔としている。 また、①の系図では、その3代後の西牟田彌次郎家綱入道藤原行西は、嘉禎年中(1235~38)に、豆州三島より三瀦郡西牟田村に(地頭として)赴任し、村の名前を取って「西牟田氏」を名乗ったとされている。筑後市西牟田にある寛元寺や三潴郡蛭池村の三島明神などの社寺の正式な「縁起」「開基帳」にも同様の内容が記されている。 ②の系図では、初代家直の時に筑後国西牟田之邑へ下向したこととなっていて、①の系図と比べると九州へ移った時期が相当早い。
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