坂田莠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 坂田莠の意味・解説 

坂田莠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/25 21:35 UTC 版)

坂田 莠(さかた はぐさ、1830年天保元年[1]) - 1891年明治24年)3月30日[1])は、幕末高鍋藩士明治時代の官吏神職新川県参事。

経歴

日向高鍋藩士[1][2]。藩校明倫堂に学んだのち、大坂で藤沢東畡、江戸で藤森弘庵の門に入る[1][2]慶応年間、幕府秋月種樹若年寄に任じた際は、辞退に奔走した[2]

維新後は新政府に出仕し、高鍋県大参事を経て、1871年(明治4年11月)新川県参事に就任[3]。同年12月18日まで務めた[3]

のち神職に転じ、都農神社宮司、大和神社宮司を歴任した[2]1877年(明治10年)西南戦争では動かず、神官として天下泰平を祈り「素行記事」を記した[2]。来朝した英国王子に対し暴挙を図ると疑われ、三条実美に弁明書を提出した[4]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 上田ほか 2001, 835頁.
  2. ^ a b c d e 日本歴史学会 1981, 439頁.
  3. ^ a b 保科 1882, 206頁.
  4. ^ 日本歴史学会 1981, 439-440頁.

参考文献

公職
先代
(新設)
新川県参事
1871年
次代
三吉周亮
先代
(新設)
議政官下局議長
1868年
(途中まで大木喬任と、途中から秋月種樹と共同)
次代
秋月種樹



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  坂田莠のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂田莠」の関連用語

坂田莠のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂田莠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂田莠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS