明治民法の性質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
明治民法で初めて、またはより強く封建的規定が現れたとみる立場からは、穂積八束の「民法出(い)でて忠孝亡ぶ」に象徴される延期派の保守的言動が論争の評価に決定的意味合いを持つことになるが(#旧通説)、旧民法編纂過程で既に強く封建的傾向が現れていたとみる立場からは、別の意味合いを検討すべきことになる。 特に、戸主権が「強力」(玉城)だったか、「空虚」(我妻)だったかは重要だが、玉城肇も次の指摘には同意する(#戸主権強化の実例)。 戸主の同意権は父母の同意権の如く絶対的要件ではない。…戸主の同意なき婚姻届も当事者が戸籍吏の注意にもかかはらず之を提出するときは之を受理すべきものとしてゐるから(民776条、741条2項)、結局戸主の同意なき婚姻も成立するのである。ただ是丈(これだけ)では戸主権が全然無視されることになるから、民法はかかる家族に対する…制裁権を与へてゐる(民750条2項、741条2項)。 — 青山道夫、1937年(昭和12年) 戦前は「個人主義の極端」と非難されていたが(#民法典論争延長戦)、戦後は正反対に評価されることが多くなっている。
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