池野成一郎とは? わかりやすく解説

いけの‐せいいちろう〔‐セイイチラウ〕【池野成一郎】

読み方:いけのせいいちろう

[1866〜1943植物学者東京生まれ植物分類学遺伝学業績をあげ、ソテツ精子発見した。「植物系統学」「実験遺伝学」をローマ字著した


池野成一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 08:44 UTC 版)

池野 成一郎
理学博士池野成一郎(植物研究雑誌1926年3巻2号:日本植物学者肖像)
生誕 1866年6月25日慶応2年5月13日
江戸 駿河台
死没 (1943-10-04) 1943年10月4日(77歳没)
東京
国籍 日本
研究分野 植物学
研究機関 帝国大学
出身校 帝国大学
主な業績 ソテツ精子の発見
主な受賞歴 帝国学士院恩賜賞
プロジェクト:人物伝
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池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日慶応2年5月13日) - 1943年昭和18年)10月4日)は日本植物学者理学博士東京帝国大学名誉教授。日本の植物形態学の先駆者平瀬作五郎のイチョウの精子の発見に続いてソテツ精子を発見した。

経歴

最後の堺奉行を務めた旗本池野好謙(山城守、通称は勇一郎)の子として、江戸駿河台の屋敷で生まれた。開成学校大学予備門から帝国大学理科大学植物学科に入学し、1890年(明治23年)に同校を卒業。翌年に帝国大学農科大学助教授に就任、留学先の帝政ドイツなどの大学の教授にも就任[1]

平瀬作五郎イチョウの研究に協力し、平瀬は1896年(明治29年)にイチョウの精子を発見した。池野はその傍らソテツの研究でその精子を発見し、1910年(明治43年)に理学博士の学位を受領[2]1912年(明治45年)に帝国学士院恩賜賞を受賞した。

1927年(昭和2年)に東京帝国大学を依願退官。同年に帝国学士院会員に推薦され、東京帝国大学名誉教授の名称を授与された[3]

墓所は小石川区桂林寺であったが、後年雑司ヶ谷霊園に改葬。

栄典

位階
勲章

著書

家族・親族

参考文献

  • 上山明博「ソテツの精子の発見者、池野成一郎」『飛翔』富士通,2000年
  • 『植物学雑誌』10巻117号、1896年11月

脚注

  1. ^ 上田正昭・津田秀夫・永原慶二・藤井松一・藤原彰『コンサイス日本人名辞典 第5版』三省堂、2009年、88頁。
  2. ^ 『官報』1910年11月28日 彙報・学事「学位授与」。
  3. ^ 『官報』1927年7月2日「叙任及辞令」。
  4. ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
  5. ^ 『官報』第106号「叙任及辞令」1927年5月10日。
  6. ^ 『官報』第1773号「叙任及辞令」1918年7月1日。
  7. ^ 『官報』第5029号「叙任及辞令」1943年10月15日。



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