三輪知雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 三輪知雄の意味・解説 

三輪知雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 13:21 UTC 版)

三輪 知雄(みわ ともお、1899年12月27日 - 1979年12月27日)は、日本植物学者生化学者筑波大学初代学長。

来歴

長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)出身。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1922年(大正11年)に東京高等師範学校理科第三部卒業。千葉県の旧制中学校教諭を経て、同12年(1923年)東京帝国大学理学部植物学科入学、昭和2年(1927年)卒業。

昭和4年(1929年)東京高師講師、同5年(1930年)東京文理科大学助教授、同15年(1940年)教授を経て、同24年(1949年)東京教育大学理学部教授に就任。同29年(1954年)理学部長、同37年(1962年)学長を歴任した。

1972年(昭和47年)、「筑波新大学創設準備室」の室長に就任。東京教育大学の筑波移転に尽力した。

1973年(昭和48年)、筑波大学の初代学長に就任。

1979年(昭和54年)2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された[1][2][3][4]。呼びかけ人は三輪、木内信胤朝比奈宗源宇野精一郷司浩平宝井馬琴の6人[1]

当初はコガネバナ配糖体バイカリの水解酵素バイカリナーゼとエムルシンなどのβグルカナーゼとの間における酵素学的異同の研究を進める一方、海藻類の生化学的研究に着手し、アサクサノリカワノリ細胞壁多糖組成に関する研究などで業績を上げ、酵素の始原体説を批判するなど、生化学界の重鎮として2期に亘り日本植物学会会長を務めた。 1955年(昭和30年)11月には皇居に招かれて生物学に関する合同進講に出席。「植物生理 ヴィタミンと酵素その関係」と題する進講を行った[5]。 また、文部省教員等待遇改善研究会座長、教員養成審議会長、国立科学博物館評議員会長などの役職も歴任した。

著書

  • 生物学実験指導書
  • 現代生物学大系
  • 生命の科学

脚注

  1. ^ a b 茶本繁正「ファシズムの尖兵・勝共連合」 『社会主義』1979年7月号、社会主義協会、68-73頁。
  2. ^ 当団体について”. 「スパイ防止法」制定促進サイト. スパイ防止法制定促進国民会議. 2023年2月17日閲覧。
  3. ^ 専修大学社会科学研究所月報 No.273” (1986年4月20日). 2022年11月14日閲覧。
  4. ^ 深草徹. “今、再び特定秘密保護法を考える”. 2022年11月14日閲覧。
  5. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、112頁。ISBN 978-4-487-74412-1 

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三輪知雄」の関連用語

三輪知雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三輪知雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三輪知雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS