学長選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 09:01 UTC 版)
62年6月に学長選挙が行われた。56年7月に就任した朝永振一郎教授の任期満了に伴い、新学長の選出が必要だった。その後の大学運営の姿勢をめぐるものとして学内の注目を浴びた。学長第一次投票には助手なども参加できるが、第二次投票では教授会構成員のみが選挙権を持っていた。学生自治会は、推薦候補になった3候補について「信認投票」(学生は学長選挙における「信任投票権」を要求していたが、大学側の受け入れるところとならなかったので、苦肉の策で「信認投票」という名称を考え出し、その名で実施したものと考えられる)を行ったが、その結果は、梅根悟教授2304票、三輪知雄教授203票、石三次郎教授110票だった。学長選第一次投票で3位、第二次投票で1位だった三輪知雄氏が、第三次投票で過半数を得て(三輪160票、梅根115票)、学長に選ばれた。梅根教授は学生間で人気があったが、教授会構成員レベルではリベラルに過ぎるとして反発する人もあり、一方の三輪教授については学生運動への抑圧的な姿勢が懸念されていた。三輪知雄学長の誕生を、学生は歓迎しなかった。6月18日・22日の2回にわたり、「三輪教授の学長就任および大学管理制度・教員養成制度改悪に反対し」事実上のストライキが行われた。その後9月18日には、掲示板に学生が貼ったポスターを学長の指示で撤去するなど、学生との軋轢が始まった。
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