町数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 06:20 UTC 版)
伏見区の中心部は、豊臣秀吉が築いた伏見城の城下町であり、近世から町地化されていた。享保3年(1718年)の『伏見大概記』によれば、当時の伏見は北組158町、南組105町の町組が組織され、計263の町名が記されている。これら263町は各9組に分け、この他に地方附と称する27ヶ町が存在した。天保年間(1831年 - 1845年)には町数265町、北組は12組に分け、地方附は23ヶ町だった。これらの中には、複数の町組に重複して属するものもあり、実際の町数はこれより若干少ない。また、江戸時代末期(幕末)から明治時代初頭にかけて、1町が「東・西」「上・下」に分割されたり、町組に属していなかった周辺部の町が編入されるなどして町数に変動があり、明治7年(1874年)には267町が存在した。これらの町のうち、明治10年(1877年)に49町、明治22年(1889年)に31町が周辺の村に編入され、残余は188町となった。明治10年(1877年)に当時の六地蔵村に編入された15町のうち9町は、現在の行政区画では宇治市に属している。昭和4年(1929年)の伏見市成立時には、「東・西」「上・下」に分割されていた町を再統合したり、小規模な町を隣町に編入する等の整理が行われ、町数は20減って168町となった。なお、以上の町数は「銀座町一丁目、銀座町二丁目、銀座町三丁目、銀座町四丁目」などの各「丁目」を1町と数えている。
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