町方同心とは? わかりやすく解説

町方同心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 07:50 UTC 版)

同心」の記事における「町方同心」の解説

江戸南町北町奉行所には与力が各25騎、同心が各100人配置され、江戸司法・行政警察の任にあたったこのうち警察業務執行する廻り方同心南北合わせて各々町奉行所に定町廻り同心臨時廻り同心隠密廻り同心双方所属する30名にも満たず人口100万人にも達した江戸治安維持することは困難であり、奉行所直に十手貸与した小者と、同心私的に御用聞き呼ばれる手先雇っていた。 廻り方同心は髷が小銀杏髷など、粋な身なり人気があった。粋は江戸の町民文化としての側面併せ持っているため、町民には馴染みやすいともされている。特に町民にもなじみがあったのは定町廻り(じょう-まちまわり町廻り専従同心であり、決められ地区担当し巡回治安維持あたった。他に、臨時廻り専従ではなく普段別の任についていて必要な時呼ばれて定廻り支援する同心隠密廻り同心がいた。 「三廻」も参照 平の同心俸禄302人扶持将軍家直参武士比べて少なくはなかった。実際諸大名家や町屋からの付け届けなどでその数倍の実収入があった者も多く、そのため岡っ引のような私的使用人を雇うことができた。住居としていわば宿舎相当する屋敷拝領し、しばしばその屋敷同心代名詞とされた。この屋敷は、与力が約300坪、同心が約100程度規模だった。拝領した広い屋敷貸して家賃収入を得る者もいた。組屋敷八丁堀置かれ八丁堀が彼らを指した通称となった一方罪人を扱う汚れ仕事だったため不浄役人蔑まれることもあった。そのため世襲とはせず、代替わりの際には新規召抱えとした。しかし治安維持という任務上、その職務精通している事が必須であるため、事実上世襲が行われていた。江戸時代中期を過ぎると、建前上は養子入りする事で実質上は金銭で「」を買う事によって町人武士の身分を得る例が見られた。ただし、町方同心の場合はその職務通じている必要があり、また同心売るほど困窮した者も多いとはいえなかったため、事例は多いわけではなかった。有名な例としては樋口一葉の父が挙げられる

※この「町方同心」の解説は、「同心」の解説の一部です。
「町方同心」を含む「同心」の記事については、「同心」の概要を参照ください。

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