小笠原貞哲とは? わかりやすく解説

小笠原貞哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 14:35 UTC 版)

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小笠原貞哲
時代 江戸時代後期
生誕 享和2年10月1日1802年10月27日
死没 安政4年9月16日1857年11月2日
改名 貞哲、三楽(号)
戒名 大乗院殿義山玄空
官位 従五位下備後守近江守備中守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
豊前小倉新田藩
氏族 府中小笠原氏
父母 小笠原貞温、美賀子
兄弟 貞哲、啓吉
酒井忠寧娘鍈子、新井氏
貞謙貞寧忠嘉柳沢光昭正室、愛子ら
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小笠原 貞哲(おがさわら さだとし)は、江戸時代後期の大名豊前国小倉新田藩(千束藩)5代藩主。官位従五位下備後守近江守備中守

略歴

4代藩主・小笠原貞温の長男として江戸にて誕生。

文化3年(1805年)11月8日、父貞温の嫡子となる。文政2年(1819年)10月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月22日、従五位下備後守に叙任する。文政5年(1822年)4月16日、父貞温の死去により家督を継ぐ。文政6年(1823年)10月15日、大番頭に就任した。天保7年(1836年)10月26日、病気を理由に辞任する。天保9年(1838年)、藩内の5か村で農民による逃散騒動が起こった。天保14年(1843年)12月9日、隠居し、次男・貞謙に家督を譲った。その後、三楽と称した。

安政4年(1857年)9月16日、江戸で死去した。享年56。法号は大乗院殿義山玄空。

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