小笠原寿長とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小笠原寿長の意味・解説 

小笠原寿長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 04:11 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
小笠原寿長

小笠原 寿長(壽長、おがさわら ひさなが、1854年9月19日(安政元年7月27日[1])- 1927年昭和2年)10月[2])は、明治期の警察官政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・細川[1]

経歴

肥後宇土藩主・細川行芬の九男として生まれる[1]。旧豊前小倉新田(千束)藩主家当主・小笠原愛子(小笠原貞哲五女)の入夫となり、1876年(明治9年)5月24日に家督を継承[1]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]

1875年(明治8年)司法省出仕となる[2]。以後、大蔵省御用掛、大蔵属、陸軍省出仕、熊本県警部福岡県警部、宮崎県警部、延岡裁判所書記、宮崎裁判所書記などを歴任した[2]

1891年(明治24年)12月5日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[4][5]1902年(明治35年)8月9日に辞職するまで2期在任した[2][6][7]。同年8月12日、小笠原家と離縁となり、同年8月28日、息子の恒が子爵を襲爵した[2][8]

このほか1899年(明治32年)の東京市会議員選挙に牛込区から立候補して当選した[9]

親族

  • 妻:愛子(前当主、小笠原貞哲五女)[1]
  • 男:恒(子爵、陸軍砲兵中佐)[1]
  • 女:喬子(大谷瑩潤夫人)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』342-343頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
  3. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
  5. ^ 『官報』第2534号、明治24年12月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  7. ^ 『官報』第5732号、明治35年8月12日。
  8. ^ 『官報』第5747号、明治35年8月29日。
  9. ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
千束小笠原家初代
1884年 - 1902年
次代:
小笠原恒



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小笠原寿長」の関連用語

小笠原寿長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小笠原寿長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小笠原寿長 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS