小笠原貞通とは? わかりやすく解説

小笠原貞通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 22:55 UTC 版)

 
小笠原 貞通
時代 江戸時代中期
生誕 貞享3年5月2日1686年6月22日
死没 延享4年1月5日1747年2月14日
改名 幼名:任次郎→貞通
戒名 曹渓院殿安窓徹心
墓所 北九州市小倉南区開善寺
官位 従五位下近江守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家宣家継吉宗家重
豊前小倉新田藩
氏族 府中小笠原氏
父母 父:小笠原忠雄、母:鈴木氏
兄弟 義姫、清姫、福姫、染姫、忠基、三好清彪、貞通、長新、須免姫
正室:伊東長救の娘
側室:藤井氏
定政貞顕、縫姫、五島盛峰正室ら
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小笠原 貞通(おがさわら さだみ)は、江戸時代中期の大名豊前国小倉新田藩(千束藩)2代藩主。官位従五位下近江守

略歴

豊前小倉藩主・小笠原忠雄の三男として江戸にて誕生。

元禄13年(1700年)、叔父で先代藩主の小笠原真方の養嗣子となる。宝永6年(1709年)に養父が讃岐国にて溺死したため、その跡を継いだ。正室の伊東氏とは仲が悪く、僅か2年で離別したが、側室の藤井氏との間は仲が良く、8男7女という子女に恵まれている。最初は次男・定政を世子に選んでいたが、元文4年(1739年6月12日に早世したため、六男・貞顕を新たに世子とした。

延享4年(1747年)正月5日、小倉にて死去し、跡を貞顕が継いだ。

系譜

  • 父:小笠原忠雄(1647-1725)
  • 母:鈴木氏
  • 正室:伊東長救の娘
  • 側室:藤井氏
  • 生母不明の子女
    • 次男:小笠原定政(1719-1739)
    • 女子:縫姫 - 裏松祐光室、のち宮本貞弼養女
    • 女子:五島盛峰正室 - のち小笠原長之室




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