細川温子とは? わかりやすく解説

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細川温子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/06 07:59 UTC 版)

ほそかわ よしこ

細川 温子
生誕 1918年6月23日
日本
死没 (1940-08-10) 1940年8月10日(22歳没)
日本
国籍 日本
配偶者 細川護貞
子供 長男:細川護熙
次男:近衞忠煇(細川護煇)
父:近衞文麿
母:近衞千代子
親戚 孫:細川護光
孫:近衞忠大
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細川 温子(ほそかわ よしこ、1918年大正7年〉6月23日[1] - 1940年昭和15年〉8月10日[2])は、日本華族の女性。旧姓は、近衛。通称オンチ[3]あるいはオンチャン、ブタ公[4]

近衛文麿の次女。母は千代子。外祖父は毛利高範

経歴

1936年(昭和11年)3月、女子学習院を卒業。1937年(昭和12年)4月木戸幸一夫妻の媒酌で、京都帝国大学大学院在学中の細川護貞と結婚[5][6]。このとき行われた仮装パーティで近衛文麿はヒトラーに扮したが、その写真が市中に出回って話題となり、木戸幸一は「つまらんものになったな」と呟いたとされる[7]

21歳で結核に罹患し、1年余りの闘病生活を経て[4]、二児を遺し早世した。夫・細川護貞は、「明るく現代的な人だけに突然、結核で亡くなったときには非常なショックを受けた。温子との結婚生活はわずかに4年しかなかった」[8]と回想している。墓所は南禅寺天授庵

温子の死後、護貞は、旧熊本藩筆頭家老であった松井家から、松井明之の長女・薫子(1925年 - 2006年)を後妻に迎え、薫子との間に千明子(表千家14代千宗左夫人)を儲けた。

家族

脚注

  1. ^ 華族名簿. 昭和12年6月1日調”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 国立国会図書館. 2020年1月29日閲覧。
  2. ^ 姉、野口昭子著「回想の野口晴哉」幻の蝶より
  3. ^ 犬養道子『ある歴史の娘』103ページ
  4. ^ a b 西木正明『夢顔さんによろしく』304ページ
  5. ^ 中嶋繁雄『閨閥の日本史』84ページ
  6. ^ 原秀成『日本国憲法制定の系譜』第3巻19ページ
  7. ^ 福田和也『地ひらく: 石原莞爾と昭和の夢』498ページ
  8. ^ 細川護貞『細川家十七代目: 私の履歴書』51ページ



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