細川広貞
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時代 | 戦国時代→江戸時代前期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 寛永4年(1627年)11月16日 |
改名 | 広貞→国田 |
別名 | 五郎 |
戒名 | 芳泉院光甫宗恩 |
幕府 | 室町幕府→江戸幕府 |
主君 | 渡辺山城守茂 |
氏族 | 細川淡路守護家(佐々木源氏流大原氏) |
父母 | 父:六郎某 祖父:細川晴広 |
子 | 広清[1] |
細川 広貞(ほそかわ ひろさだ)は、江戸時代から江戸時代前期の武士。
家は細川淡路守護家であるが、細川氏ではなく佐々木氏流大原氏の出身である[2]。
概要
「細川之系図」によると幕臣・細川晴広の孫で渡辺山城守茂に仕えたという[1]。
子には細川広清、孫には細川広重がいる[1]。
脚注
参考文献
- 山田康弘「細川幽斎の養父について」『日本歴史』第730号、吉川弘文館、2009年3月、96-104頁、CRID 1520290883881290624、 ISSN 0386-9164。
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