武田元光とは? わかりやすく解説

武田元光

読み方たけだ もとみつ

室町時代武将通称は彦二郎。号は宗勝・釣渓斎。武田元信の子将軍足利義政らに仕えた若狭国後瀬山に城を構え城主となる。猿楽犬追物など伝統文化擁護を行う。また三条西実隆師事し和歌にも優れた天文20年(1551)歿、58才。

武田元光(たけだ もとみつ) 1493~1551

彦次郞 元言 伊豆守 大膳大夫
◇父:武田元信 子:武田信親信豊信実、信高
 父が出家したことから家督継承若狭守護武田氏当主となるが、丹後一色氏との抗争重臣間の内紛難題抱えていた。細川高国援け出兵し、1527年京・西七条において三好勝長、柳本賢治らの軍勢迎撃するが、激戦末大敗し高国と共に将軍義晴奉じて近江落ちた。この敗北により領国経営が不安定となり、海岸線丹後海賊衆襲撃されるが、何とかこれを撃退したまた、重臣粟屋元隆離反し1538年これと争う等内紛絶えず、弟信孝を擁する一派越前から若狭侵攻しようとした時、幕府通して越前・朝倉氏にその制止要請、これを断念させている。父同様、和歌芸術面に優れていたという。

武田元光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 17:16 UTC 版)

武田 元光(たけだ もとみつ)は、戦国時代大名武田元信の次男。若狭国守護若狭武田氏6代当主。


  1. ^ a b 今井尭ほか編 1984, p. 324.
  2. ^ a b c d e f g h i 高野賢彦 『安芸・若狭武田一族』p.122-125,164
  3. ^ 『続群書類従』所収「細川系図」
  4. ^ 尊経閣文庫所蔵の「聞書条々」に元光の筆による永正17年(1520年)の年次と二十七歳を付記した自身の署名が入った奥書が入っている(木下聡、『若狭武田氏』2016年、P42)。
  5. ^ 『実隆公記』大永4年9月29日条
  6. ^ 『実隆公記』大永6年10月28日条
  7. ^ 『二水記』大永6年12月29日条
  8. ^ 笹木康平「戦国期畿内政治史と若狭武田氏の在京」(初出:『日本歴史』768号(2012年)/所収:木下聡 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第四巻 若狭武田氏』(戎光祥出版、2016年) ISBN 978-4-86403-192-9
  9. ^ 福井県史(領国経営の行き詰まり)[1]
  10. ^ 木下聡、『若狭武田氏』2016年、P35
  11. ^ 福井県史(元隆の反乱)[2]
  12. ^ 木下聡、『若狭武田氏』2016年、P31


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