姉小路済継とは? わかりやすく解説

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姉小路済継

読み方あねがこうじ なりつぐ

室町時代公卿歌人。基綱の子法名を常済。仕えて正三位参議に至る。父や三条西実隆学び公家歌人として重きをなした。著書に『済継集』がある。永正15年1518)歿、49才。

姉小路済継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 09:41 UTC 版)

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姉小路済継
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 文明2年(1470年
死没 永正15年5月30日1518年7月7日
別名 古川済継
戒名 常済
官位 正三位参議飛騨国司
氏族 姉小路家飛騨古川氏
父母 父:姉小路基綱
済俊高綱田向重継?)、娘(中院通胤室)
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姉小路 済継(あねがこうじ なりつぐ/さだつぐ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿大名歌人権中納言姉小路基綱の子。飛騨国司姉小路家飛騨古川氏)当主。

生涯

文明2年(1470年)、姉小路基綱の嫡男として誕生。父・同様に和歌を得意とし、歌会にも度々足を運んだ。父と共に飛騨文学の祖として当地に名を残している。

永正5年(1508年)、従三位に叙せられて公卿に列し、翌永正6年(1509年)に参議に任ぜられる。

永正7年(1510年)8月21日、飛騨国において美濃国恵那郡遠山荘地頭の遠山景正と戦った。

永正14年(1517年)、飛騨国に下向するが[1]、翌永正15年(1518年)5月30日に同国にて急死。享年48。最終官位は前参議・正三位。法名は常済。家督は子・済俊が継ぐが、以後は三木直頼の台頭を抑えきれず、姉小路家は衰退の一途を辿る。

官歴

注記のないものは『公卿補任』による。

系譜

系図纂要』による。

脚注

  1. ^ 『公卿補任』
  2. ^ a b c d e f g h 『諸家伝』



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