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高師詮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 16:38 UTC 版)

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高 師詮
時代 南北朝時代初期
生誕 不明[1]
死没 正平8年/文和2年6月12日1353年7月13日
別名 武蔵将監[1]
官位 左近大夫将監
幕府 室町幕府丹後但馬守護(丹波守護?)
主君 足利尊氏
氏族 高氏
父母 父:高師直
兄弟 師夏、娘(渋川直頼室)
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高 師詮(こう の もろあきら)は、南北朝時代武将足利氏の家臣。

生涯

室町幕府の初代将軍・足利尊氏執事であった高師直の子。異母兄弟に師夏がいる[注釈 1]

観応の擾乱により観応2年/正平6年2月26日1351年3月24日)に父師直をはじめ多くの高一族足利直義派の上杉能憲らによって殺害されたが、師詮は一族と別行動をしており難を逃れている[1]。師直の後継者とされていた師夏が父とともに討たれたため、阿保忠実・荻野朝忠らによって「片田舎に隠れて」いた師詮が後継者として擁立されたという[2][注釈 2]

観応3年/正平7年(1352年)頃より丹後国守護[7]、翌文和2年/正平8年(1353年)頃より但馬国守護[8]に任ぜられた。また、『太平記』の記述[注釈 3]から丹波国守護に就いていた可能性もある[注釈 4]。師詮がこれらの国の守護職に任ぜられたのは、観応の擾乱で直義に味方し、いったん幕府に帰順したもののその向背が危ぶまれていた山名時氏に備えるためと見られている。

文和2年/正平8年(1353年)5月、山名時氏が佐々木道誉と所領問題で対立、南朝に与して幕府に反乱を起こす。出雲で佐々木軍を破った山名軍は、楠木正儀と連合して6月に入り京都突入を図る。師詮は丹波・丹後・但馬の国人を糾合してこれに対抗した[1][注釈 5]。師詮は奮戦するも及ばず、6月12日の西山吉峯の合戦で敗れて切腹自害)して果てた[1]享年不明だが10代から20代くらいか。『太平記』によれば、師詮を擁立した阿保忠実・荻野朝忠の両名が師詮に自害を勧め、師詮が切腹する間に自分たちは逃れ生き延びたという[注釈 6]。しかし、『園太暦』では県・阿保・高根ら家臣が師詮とともに切腹し、荻野の舎弟もまた討死したとしている。

脚注

注釈

  1. ^ 『太平記』第32巻「武蔵将監自害の事」の段[2]に「故武蔵守師直が思ひ腹の子に」とあり名前の知れない側室の子であったことがわかる。
  2. ^ 師詮を擁立した阿保忠実(直実)は武蔵七党丹党出身の武将で高師直配下として活躍し、『太平記』では四條畷の戦いで和田新兵衛を討ち取る様や、直義派の桃井直常軍と激突した京都四条河原での戦いにおける秋山光政との一騎打ちが描かれている(『太平記』第26巻「和田楠討死の事」[3]及び第29巻「桃井四条河原合戦の事」[4])。一方、荻野朝忠は丹波守護となった仁木頼章のもとで守護代を務めたが、康永2年/興国4年(1343年)12月、南朝に通じて反乱を起こそうと企て、山名時氏に攻められて降伏した。この結果、責任を取って仁木頼章は丹波守護職を辞し代わって山名時氏が任ぜられている(『太平記』第25巻「三宅荻野謀叛の事」[5][6]。その後、阿保忠実同様、四條畷の戦いに高師直配下として参加している。
  3. ^ 「丹波・丹後・但馬三ヶ国の勢二千余騎を集め」[2]
  4. ^ 一般には当時の丹波守護は仁木頼章とされ、執事職に忙殺されていた頼章に代わって師詮が実質的に丹波を支配していたのではないかとする見方がある[9]
  5. ^ 『鎌倉・室町人名事典』では「荻野・県・高橋らの旧師直残党により担がれ」とあるが、『園太暦』文和2年6月12日条[10]では「高橋」は「高根」とあり、他の参考文献もそれに従っている。
  6. ^ 『太平記』は師詮の自害後、その首を取ろうと殺到した山名勢に対し、師詮の家臣沼田が取って引き返し、奮戦の後、師詮に覆い被さるようにして自害したことも伝えている。

出典

  1. ^ a b c d e 安田元久編 『鎌倉・室町人名事典』(コンパクト版) 新人物往来社、1990年、200頁。 
  2. ^ a b c 太平記 五, pp. 158-159.
  3. ^ 太平記 四, pp. 228-237.
  4. ^ 太平記 四, pp. 384-394.
  5. ^ 太平記 四, pp. 157-159.
  6. ^ 佐藤 1988, pp. 1-16.
  7. ^ 佐藤 1988, pp. 17-27.
  8. ^ 佐藤 1988, pp. 28-37.
  9. ^ 亀田 2016, pp. 180-182.
  10. ^ 太田藤四郎編 国立国会図書館デジタルコレクション 『園太暦』 4巻 太洋社、1940年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920672 国立国会図書館デジタルコレクション 

参考文献




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