義詮の偏諱を受けた人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:37 UTC 版)
「義」の字 今川義範(今川了俊の長男、のち貞臣に改名 ※生年および元服時期不明のため、義満から賜った可能性もある。) 大内義弘 小山義政 六角義信 「詮」の字 足利満詮(実子、義満の弟) 高師詮(高師直の子) 粟飯原詮胤(粟飯原氏) 蘆名詮盛 荒川詮頼 荒川詮長(詮頼の子) 荒川詮宣(詮頼の子、または詮長の子) 石川詮持 一色詮範 一色詮光(詮範の弟) 一色詮光(詮範・詮光兄弟の従兄弟、父は範房) 上野詮兼(足利氏系上野氏) 宇佐美詮祐(満秀) 小俣詮氏(足利氏系小俣氏) 斯波詮経(家長の子とされる) 斯波詮将(義高) 白井詮常(安芸白井氏) 大掾詮国(満幹の父) 中条詮秀 富樫詮親(昌家の子) 土岐詮直 細川詮春 本郷詮泰(美作朝親の末裔) 桃井詮信(直信の子) 湯川詮光(紀伊国衆、応永期間に奉公衆、初め詮直、のち詮春) 吉見詮頼(吉見氏、幕府奉公衆) 問注所詮康(問注所氏) (補足) 「義」の字は、足利氏の祖先にあたる清和源氏の通字であり、統治にあたってその子孫であることを示す意図があったものとみられ、子の義満以降の足利将軍家でも代々用いられるようになった。なお、室町時代においては、この字が与えられることは破格の待遇を意味していた。 「詮」の読み方について、義詮とその子である満詮は「あきら」、その他の人物は「あき」と読まれる。また、後者では「のり」と読まれることもある。 年代的にほぼ同時代の人物であることから、上記のほか、斯波義将・斯波義種兄弟や畠山義深、畠山(二本松)国詮(二本松氏、畠山国氏の子)や京極高詮、二階堂行詮(行良)など(諱の2文字目に用いている人物)も義詮から偏諱を受けた者と考えられるが、確証はない。
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