義賊としてのロージャ・シャーンドル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/10 18:50 UTC 版)
「ロージャ・シャーンドル」の記事における「義賊としてのロージャ・シャーンドル」の解説
ロージャ・シャーンドルが狙った対象は主として貴族、地主、商人、司祭、地方政府機関であり、豊かでない者への略奪は記録に残されていない。また強盗に伴った殺害もきわめて少なく、特に襲った家の召使らを傷つけることはなかった。ロージャ・シャーンドルが主に殺人を犯したのは裏切り者への制裁と、貴族及びその代理として農民を管理していた農場監察官への攻撃だけだった。なお、奪った富を貧しい者に分け与えたという逸話は伝承として残されてはいるが、実際の証拠はまだ見つかっていない。それでも、当時の盗賊とは明らかに異なったロージャ・シャーンドルの特色によって、現在のロージャ・シャーンドル伝説はロビン・フッド的な脚色を帯びている。 また、ロージャ・シャーンドルは県の役人と反目してしばしば対立していたが、このことは現地の権力と癒着していたイタリアのマフィアと比べて明確にことなる点だった。当時の憲兵には非ハンガリー人が多く、しばしば民衆と対立したためにロージャ・シャーンドルの立ち位置が「民衆の側に立っている」とみなされていた。チャーンドルもそれに応えるように、1851年には農民から土地を奪い、弾圧によってタバコ栽培の労働力に囲いこもうとした貴族の農場観察官を襲撃する「パラーシュティ事件」を起こし、農民らの支持を集めた。それらの活躍のため、ロージャ・シャーンドルはベチャールの中でも代表格と評価されている。
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