久美浜県とは? わかりやすく解説

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久美浜県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/04 09:57 UTC 版)

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旧久美浜縣庁舎・玄関棟(現:参考館)

久美浜県(くみはまけん)は、1868年慶応4年)に丹後国丹波国但馬国播磨国美作国内の幕府領旗本領を管轄するために明治政府によって設置された。管轄地域は、当初は現在の京都府北部、兵庫県西部、岡山県東北部、のちに京都府北部に分布していた。

概要

丹後・丹波・但馬・播磨・美作5ヶ国の久美浜代官所生野代官所支配地および但馬、丹波の旗本領の926ヶ村23万石を管轄した。

県庁は旧久美浜代官所(現京都府京丹後市)に置かれた。旧代官所は手狭であったことから、1870年(明治3年)に新庁舎が完成しているが、実働期間が短かったことから、移築されて後身の豊岡県庁としても使用された。

旧生野代官所支配地を中心に分離運動が高まり、1869年明治2年)、但馬(北部の一部を除く)・播磨・美作3ヶ国を生野県として分離した。また、但馬南部の一部を篠山藩へ移管している。

1871年(明治4年)、第1次府県統合により丹波・丹後・但馬の11県が統合して豊岡県が設置されたため廃止された。なお、久美浜県権知事兼生野県権知事の小松彰は引き続き豊岡県権令を務めた。

沿革

  • 1868年(慶応4年)
    • 1月3日 - 西園寺公望が山陰道鎮撫府に任命され京都を出発。
    • 2月 - 新政府軍が熊野郡久美浜町(現在の京都府京丹後市久美浜町西本町城山)の久美浜代官所を接収し官軍出張所とする。
    • 4月19日 - 新政府が生野代官所に府中裁判所を設置。同代官所の管轄地域を統括。
    • 4月28日 - 新政府が久美浜代官所の管轄地域を統括する久美浜県を設置。
    • 7月29日 - 府中裁判所が廃止され、管轄地域を久美浜県が管轄(23万石)。
  • 1869年(明治2年)8月10日 - 但馬・播磨・美作の180ヶ村を生野県として分離、但馬南部の一部を篠山藩へ移管。
  • 1870年(明治3年)5月5日 - 県庁の新庁舎が完成(のちに豊岡県庁として移築)。
  • 1871年(明治4年)11月2日 - 第1次府県統合により豊岡県に編入、同日久美浜県廃止。

管轄地域

生野県に分割された地域は同県の項を参照。

歴代知事

関連項目

先代:
久美浜代官所
丹後国丹波国但馬国内の
幕府領旗本領
府中裁判所
播磨国美作国内の幕府領・旗本領)
行政区の変遷
1868年 - 1871年
次代:
豊岡県
生野県に分割された地域も含む)



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