正木利英とは? わかりやすく解説

正木利英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 04:07 UTC 版)

 
正木 利英
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 天正19年6月2日[1]1591年7月22日
別名 丹波守、勝英
戒名 傑宗道英
墓所 高源寺
主君 成田氏
氏族 正木氏
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正木 利英(まさき としひで)は、戦国時代から安土桃山時代武将成田氏家臣家紋は菊水紋。『新編武蔵風土記稿』には正木丹波守勝英の表記となっている[1]

経歴

天正2年(1574年)羽生城の戦いでの功績により、主君成田氏長から栢間に加え郷地と笠原を与えられた[2]

『忍城戦記』などによれば、天正18年(1590年)に忍城の戦いが起きた際には、正木は忍城の東南に位置する「佐間口」(北緯36度8分2.69秒 東経139度27分42.36秒)を守備し、豊臣方の長束正家の軍勢と戦闘を繰り広げたとされている[3][4]

忍城の戦い後、主君である成田氏には付き従わず、正木は武士の身分を捨て現地に留まると、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に高源寺を建立、守天和尚を招き開山した[3][4][5]。正木は天正19年(1591年)に没するが、その墓は境内に現存している[1][3]

演じた俳優

出典

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 佐間村 高源寺.
  2. ^ 行田市史 上巻2[要ページ番号]
  3. ^ a b c ものつくり大学横山研究室『旧成田領に残る歴史遺産』埼玉新聞社、2012年、56-59頁。ISBN 978-4878893797 
  4. ^ a b 【埼玉/行田】脚光浴びる“難攻不落の城” 城下には武者の精神が息づく(2)”. 『日経おとなのOFF』2012年11月号. 日経トレンディネット (2016年11月15日). 2017年3月28日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ 『るるぶ埼玉 川越 秩父 鉄道博物館’16』JTBパブリッシング、2015年、112頁。 ISBN 978-4533105586 

参考文献

  • 「成田分限帳」長久寺本
  • 成田記
  • 「佐間村 高源寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ216埼玉郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764009/88 
  • 行田市史編さん委員会編 『行田市史 資料編 古代中世』 行田市教育委員会

正木利英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:55 UTC 版)

忍城の戦い」の記事における「正木利英」の解説

忍城開城後は妻子会津へ向かわせ、自らは出家して行田の地に残り高源寺開基したが、その翌年没した

※この「正木利英」の解説は、「忍城の戦い」の解説の一部です。
「正木利英」を含む「忍城の戦い」の記事については、「忍城の戦い」の概要を参照ください。

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