秦人と秦人部、秦部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 22:20 UTC 版)
秦氏には秦人、秦人部、秦部という部民が存在したが、その分類方法は以下の通りであったとされる。 秦人 - 弓月君と共に朝鮮からやってきて、既に養蚕機織技術などを身につけていた渡来人集団 秦人部 - 秦人の後に秦氏の傘下に降った倭人 秦部 - 秦人部の中でも、元々畿内や西国の豪族に支配されていたものの、国造制やミヤケ制の進展によって秦氏に管轄されるようになった集団 そして、彼らを在地で管理したのが勝姓や秦氏であった。 構図としては、まずミツキを作る秦人、農作をする秦人部や秦部がおり、在地の勝姓が彼らを統率していたとされる。そして、勝姓は在地の秦氏によって管理され、在地の秦氏は都までミツキを送り、中央の豪族であった秦氏がクラに納めていたと考えられる。
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