秦以前の爵位とは? わかりやすく解説

秦以前の爵位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:07 UTC 版)

爵位」の記事における「秦以前の爵位」の解説

中国語における爵とは中国古代の温酒器意味し三本足青銅器であり中国古代王朝ではこの爵を人物の徳や身分を指す概念として用いようになった。その起源氏族制時代宴席での席次定め習俗にあるとされる。『孟子』(告上篇)には「天爵なる者有り人爵なる者有り」といい、孟子忠・孝仁・義などの人徳指し天爵呼び社会的地位である通常の爵位人爵呼んで制度としての爵位人爵)を精神的な価値天爵)の下に置く思想唱導した。儒教経典主張するところによると夏王朝には公・侯・伯・子・男の五等があり、それが殷代には公・侯・伯の三等となり周代には再び五等となったとされる。また『書経』王制篇)によると公侯伯子男の5位はその領地大小広狭によって5段階分けたのである。ただし、例外事項少なくとも二つあり、第一に諸侯爵位の上下にかかわらず自国領内ではすべて公と自称呼称されるのが礼とされた(爵位あくまでも周王朝朝廷における順位にすぎないのに対しここでいう公は爵位ではなく領主」とか「殿様」ぐらいの意味)。第二周礼によると異民族国々首長領地面積大小かかわらずすべて子の爵位しか与えられなかったとされる(これも周王朝内部建前であり、自国内では公または王を自称した)。この二項は現在残る歴史書の記述にも合致している(ただし異民族首長子爵与えられていると自認していたという考古学的証拠はない)。さらに爵位とは別に「禄位」というものがあり、爵位と禄位が並行されていた。禄位とは公・卿大夫・士であるが、これは仕え君主諸侯)が五等爵位のどれであるかによって例えば同じ「大夫であっても相互地位の高さに違いがあったり、さらに細かく例え上大夫・下大夫のように)分かれたりした。 しかし甲骨文金文等の同時代資料用いた歴史学実証的な研究によりこれらの時代実在した都市国家支配層共同体成員には爵位原型とされる称号はあったものの五等爵のようにきれいに序列化され整理されたものではなかったことが明らかになっている。きれいに序列化された五等爵戦国時代過去時代ありかたをもって当時政権正当性与えるために諸子百家により整理され序列化されたものではないかとする説が有力になってきている。 実際爵位については、制度としてどこまで整理されものかは不明だが、いわゆる爵位該当または類似したものとして、 婦(殷爵。女性爵位巫女的な存在最高位だったが周代では格下げされ階層配偶女性をさす言葉になった。例:婦好) 子(殷周共通。殷では王族王子の意味で「婦」に次ぐ高位都市領主周代には格下げされ都市共同体大夫階層をさした。例:微子啓孔子) 公(周爵。「侯」の中の特別に格付けされたもの。例:周公旦召公奭) 侯(殷周共通。都市国家首長) 伯(殷周共通。殷では王権親衛隊存在だったが、周では都市国家従属する小都市の長。例:西伯昌伯邑考) 叔(周爵。諸侯兄弟の意で、都市国家従属する小都市の長。例:蔡叔度唐叔虞) 亜(殷爵。亜の字は王を取り囲むの意味で、殷王の親衛隊存在) 男(殷周共通。殷の下層首長管理する徴税官存在。周では都市共同体大夫階層) 田(殷爵。「男」下位首長層) 方(殷爵だが『周礼』における子爵該当。「邦」の語源で、外国の王や異民族首長をいう。例:鬼方) の存在知られている。

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