胡傷とは? わかりやすく解説

胡傷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 23:47 UTC 版)

公孫 胡昜(こうそん こしょう、生没年不詳)は、中国戦国時代の武将・客卿(かくけい)。またの名を胡傷[1]・胡陽[2]とも。

経歴

華陽の戦い

昭襄王34年(紀元前273年)、の重要な城邑である華陽を攻めた。韓の相国は陳筮に頼んで秦に救援を求め、秦の昭襄王は白起を派遣し、秦の宰相の魏冄は客卿の公孫胡昜の軍を韓の救援に派遣した。秦軍は8日で華陽の戦場に到着し、不意を突かれた趙と魏の連合軍は秦軍に敗退し、魏は13万の将兵が首を討たれ、3名の将軍が捕虜となり魏将の芒卯は敗走し、趙将の賈偃も秦軍に敗れ2万の趙兵が黄河に沈められた[2]。秦はこの勝ちに乗じて魏に攻め入り、公孫胡昜は巻・蔡陽・長社を取り魏は南陽を差し出して秦と和を結んだ[3]華陽の戦い)。

閼与の戦い

昭襄王38年(紀元前269年)、公孫胡昜は趙の閼与を攻めるが、趙奢の奇策にはまり、大敗した[4]閼与の戦い)。この敗戦以後彼に関する詳細や記録は歴史資料には見られない。

脚注

  1. ^ 史記』巻五 秦本紀 第五、『資治通鑑』巻五
  2. ^ a b 『資治通鑑』巻四
  3. ^ 『史記』巻五 秦本紀 第五
  4. ^  史記 巻八十一 廉頗藺相如列傳 第二十一. 史記/卷081#附 趙奢. - ウィキソース. 史記 巻八十一 廉頗藺相如列伝 趙奢の項

胡傷(こしょう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:00 UTC 版)

キングダムの登場人物一覧」の記事における「胡傷(こしょう)」の解説

六大将軍一人故人六大将軍唯一の軍師出身にして随一智将自由に戦っていたという六将も、実際には胡傷が戦略大枠作り、皆がそれに従っていたと言われている。昌平君の師でもあり、王翦高く評価していた。

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