華陽の戦いとは? わかりやすく解説

華陽の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/22 13:41 UTC 版)

華陽の戦い
戦争:華陽の戦い
年月日紀元前273年
場所:華陽(現在の河南省鄭州市新鄭市の北)
結果:秦軍の大勝
の巻・蔡陽・長社との観津を取った
交戦勢力
指導者・指揮官
白起
魏冄
公孫胡昜
魏:芒卯
趙:賈偃
損害
不詳 魏軍:130,000人
趙軍:20,000人
秦趙戦争

華陽の戦い(かようのたたかい、繁体字:華陽之戰、簡体字:华阳之战)は、紀元前273年に発生したを攻めた戦い。

紀元前273年、趙と魏はの重要な城邑の華陽(現在の河南省鄭州市新鄭市の北)に侵攻した。韓は秦に救援を求め、秦の昭襄王は武安君白起と穣侯魏冄客卿公孫胡昜が率いる軍を派遣した。平均で一日に100里の行軍の速度で急襲し、秦軍は突然、華陽の戦場に現れた。趙と魏の軍は、対策を練っていないために、趙・魏軍は大敗した。この戦で秦軍は魏軍を13万斬首し、魏将3名を捕虜とした。魏将芒卯は敗走した。趙将賈偃は趙軍の捕虜2万人とともに黄河に沈められた。

秦軍は勝利に乗じて魏の巻(現在の河南省原陽県の北西の原興街道)・蔡陽(現在の湖北省棗陽市の南西)・長社(現在の河南省長葛市の東)[1]と趙の観津(現在の河北省武邑県の東の審坡鎮)を取った。魏は南陽(太行山より南で黄河より北の地域)を割譲して和を求めた[2][3]

脚注

  1. ^ 史記 巻五 秦本紀第五》:三十三年,客卿胡昜攻魏巻・蔡陽・長社,取之。撃芒卯華陽,破之,斬首十五萬。魏入南陽以和。
  2. ^ 史記 巻七十二 穣侯列傳》:明年,穣侯與白起客卿胡昜復攻趙・韓・魏,破芒卯於華陽下,斬首十萬,取魏之巻・蔡陽・長社,趙之観津。
  3. ^ 資治通鑑 巻四 周紀第四》:趙人・魏人伐韓華陽。韓人告急於秦,秦王弗救。韓相国謂陳筮曰:「事急矣!願公雖病,為一宿之行。」陳筮如秦,見穣侯。穣侯曰:「事急乎?故使公來。」陳筮曰:「未急也。」穣侯怒曰:「何也?」陳筮曰:「彼韓急則将変而他従;以未急,故復來耳。」穣侯曰:「請發兵矣。」乃與武安君及客卿胡昜救韓,八日而至,敗魏軍於華陽之下,走芒卯,虜三将,斬首十三萬。武安君又與趙将賈偃戦,沈其卒二萬人于河。魏段干子請割南陽予秦以和。蘇代謂魏王曰:「欲璽者,段干子也;欲地者,秦也。今王使欲地者制璽,欲璽者制地,魏地盡矣!夫以地事秦,猶抱薪救火,薪不盡,火不滅。」王曰:「是則然也。雖然,事始已行,不可更矣!」對曰:「夫之所以貴梟者,便則食,不便則止。今何王之用智不如用梟也?」魏王不聴,卒以南陽為和,実修武。

華陽の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 10:42 UTC 版)

賈偃」の記事における「華陽の戦い」の解説

紀元前275年から紀元前273年、秦の昭襄王魏冄白起公孫胡昜に命じて魏・趙を攻めると、一度は秦と講和したものの、後に魏・趙で合従して韓の華陽の地でこれを迎え撃った大敗魏軍13の兵の首を打たれ、3名の将軍捕虜となり、賈偃率いる趙軍2の兵は黄河沈められた。魏の司令官であった芒卯敗走しその後行方知られていない秦軍勝利乗じて魏の巻(現在の河南省原陽県北西の原興街道)・蔡陽現在の湖北省棗陽市南西)・長社現在の河南省長葛市の東)と趙の観津現在の河北省武邑県の東の審坡鎮)を取った。魏は南陽太行山より南で黄河より北の地域)を割譲して和を求めた(華陽の戦い)。

※この「華陽の戦い」の解説は、「賈偃」の解説の一部です。
「華陽の戦い」を含む「賈偃」の記事については、「賈偃」の概要を参照ください。

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