司馬欣とは? わかりやすく解説

司馬欣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 03:25 UTC 版)

司馬 欣(しば きん、? - 紀元前203年)は、の将軍で官職は長史。そのために長史欣とも呼ばれた。項羽により三秦の王の一人に封じられた。

生涯

部下で獄掾の曹咎(後の楚将)の進言で、犯罪を犯した項梁項羽の叔父)を匿ったことがあった。

紀元前209年趙高の命で章邯の副将として従軍し、陳勝・呉広の乱平定などに功があったが、後に章邯の命で趙高に援軍要請のために都の咸陽に向かった。だが、そこで旧部下から趙高が自分たちを処刑すると言われたため、慌てて裏街道から逃げ出した。やがて章邯に対して項羽に帰順すべく説いて項羽に降伏し、塞王に封じられた。

紀元前206年劉邦によって上将軍に任命された韓信に攻められ、翟王董翳と共にに降る。だが、翌紀元前205年睢水の戦いで董翳と共に再び楚に降った。

紀元前203年大司馬曹咎と共に成皋を守った。しかし劉邦の軍に敗れ、曹咎・董翳[1] とともに汜水の辺りで自殺し果てた。

脚注

  1. ^ 『史記』項羽本紀に、高祖4年(紀元前203年)冬に成皋を守備し、劉邦に敗れて自殺した人物に大司馬曹咎・司馬欣、そして「長史翳」という名が見える。これが董翳自身なのかは不明である。

司馬欣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:21 UTC 版)

項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「司馬欣」の解説

章邯副官として共に戦うが、項羽敗れた後、塞王とされる劉邦降伏した後、軍に加わるが、睢水の合戦の際、項羽再度降伏する許され処刑される

※この「司馬欣」の解説は、「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
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