司馬欣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 03:25 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2024年10月)
|
司馬 欣(しば きん、? - 紀元前203年)は、秦の将軍で官職は長史。そのために長史欣とも呼ばれた。項羽により三秦の王の一人に封じられた。
生涯
部下で獄掾の曹咎(後の楚将)の進言で、犯罪を犯した項梁(項羽の叔父)を匿ったことがあった。
紀元前209年、趙高の命で章邯の副将として従軍し、陳勝・呉広の乱平定などに功があったが、後に章邯の命で趙高に援軍要請のために都の咸陽に向かった。だが、そこで旧部下から趙高が自分たちを処刑すると言われたため、慌てて裏街道から逃げ出した。やがて章邯に対して項羽に帰順すべく説いて項羽に降伏し、塞王に封じられた。
紀元前206年、劉邦によって上将軍に任命された韓信に攻められ、翟王董翳と共に漢に降る。だが、翌紀元前205年の睢水の戦いで董翳と共に再び楚に降った。
紀元前203年、大司馬曹咎と共に成皋を守った。しかし劉邦の軍に敗れ、曹咎・董翳[1] とともに汜水の辺りで自殺し果てた。
脚注
司馬欣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:21 UTC 版)
「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「司馬欣」の解説
章邯の副官として共に戦うが、項羽に敗れた後、塞王とされる。劉邦に降伏した後、軍に加わるが、睢水の合戦の際、項羽に再度降伏するも許されず処刑される。
※この「司馬欣」の解説は、「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
「司馬欣」を含む「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事については、「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 司馬欣のページへのリンク