周苛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動周 苛(しゅう か、? - 紀元前204年)は、前漢初期の部将で沛の人。
略歴
従弟の周昌と共に秦の泗水郡の卒史であったが、劉邦が挙兵して泗水郡守、監を撃破すると、二人とも沛公劉邦に従い、周苛は随員となった。劉邦に従って秦を破り、劉邦が漢王になると最初の御史大夫となった。
高祖3年(紀元前204年)夏、劉邦が滎陽で項羽に包囲されると(滎陽の戦い)、劉邦は紀信を囮として脱出に成功。周苛は西魏王魏豹、樅公とともに滎陽を守備した。
項羽が紀信を焼き殺し、追い詰められた周苛は樅公に「魏豹がいつ反乱を起こすかわからない」と言い、ともに謀って魏豹を殺害した。秋8月のことである[1]。
滎陽は一ヶ月ほどして陥落し、周苛らも捕らえられた。項羽は「私の将となれば上将軍に任じ封邑三万戸を与えよう」と誘ったが、周苛は「お前は早く漢に降伏せねば、今に捕虜になるであろう。お前など漢王の敵ではない」と罵倒したため、項羽は周苛を煮殺した。また樅公も処刑された。
劉邦は彼の従弟周昌を後任の御史大夫とした。天下統一後、劉邦は周苛の功に報い、周苛の子の周成を高景侯に封じた。しかし、彼は文帝の時代に謀反のために投獄されて死亡した。景帝の時代に周成の孫周應(周応)が縄侯として再興された。武帝の時代に、その子の周平は罪を得て、所領を没収された。宣帝の時代に周成の玄孫周賜が改めて縄侯に封じられたが、周賜には子がなくついに周苛の系統は途絶えた。
脚註
参考文献
周苛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:21 UTC 版)
「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事における「周苛」の解説
留守の滎陽を守備するも項羽に敗れ、降伏の誘いをはねつけて項羽を「猿」と罵倒し、激しい怒りを買って自ら茹でられた釜の中に飛び込む。
※この「周苛」の解説は、「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の解説の一部です。
「周苛」を含む「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の記事については、「項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- >> 「周苛」を含む用語の索引
- 周苛のページへのリンク