2004年から2005年
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「大分トリニータ」の記事における「2004年から2005年」の解説
2004年、クラブ創設以来ユニフォームスポンサーを務めていたペイントハウスが年度途中で撤退。これをきっかけとして大分FCは経営難に陥り、2005年9月時点で7億2,500万円の累積赤字、3億4,400万円の債務超過となった。また、これと相前後して、2004年途中にペイントハウスの代わりにユニフォームの胸スポンサーに就いた、ミュージシャンの小室哲哉が役員を務めるイベント会社「トライバルキックス」による年間スポンサー料7,000万円の滞納が発覚した。大分FCの経営諮問委員会は2005年9月14日にとりまとめた答申で「極めて厳しい状況。運転資金確保が緊急の課題」と結論づけ、大分FCが9月21日までに2億円の調達が必要であるとし、大分県に公的支援を要請した。 これを受け、大分FCは大分県の外郭団体である大分県スポーツ文化振興財団から2億円の融資を受けた他、6月にユニフォーム胸スポンサーとなったパチンコホール運営会社のマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入し、資金繰りを乗り切った。マルハンのスポンサードに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、このときは特例として認められた。 2006年12月、Jリーグから、「(マルハンをはじめとする)ホール業界がJリーグのスポンサー自粛カテゴリーであたり、2007年シーズン以降のユニフォームスポンサーとして許可できない」との方針が示されたことを受け、マルハンはこれ以降「スペシャルスポンサー」としてトリニータの支援を行うことになる。
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