日本人による自称としての「和人」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/02 05:52 UTC 版)
「和人」の記事における「日本人による自称としての「和人」」の解説
1799年(寛政11年)『蝦夷地御用掛松平伊豆守様御達書』に、「夷人共追々御徳化に感じ、御主法に馴れ、和人風俗ニ相成度由望候者も有之候幅、月代も致させ…」との記述がある。 1808年(文化5年)江戸幕府普請役の最上徳内による『渡島筆記』に、「只和人,山丹,オロコの賈人なとゝ交易の事にいたりては貸借あり。」との記述がある。 1918年(大正7年)北海道庁内務部による『旧土人に関する調査』に、「和人の圧迫と食物の欠乏とは彼等の精神を委靡せしめ、…」との記述がある。 2009年(平成21年)「第4回 アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会 配布資料」(内閣総理大臣官邸)の「共通の認識として」に、「アイヌ民族もしくはアイヌの人びとに対する『日本人』をなんと称すべきか→和人、シサム、シャモ」との記述がある。 2009年(平成21年)「第5回 アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会 配布資料」に、「本土人(和人)」、「日本の多数民族である和人」との記述がある。
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