日本人と野菜炒め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 03:30 UTC 版)
『日々徳用倹約料理角力取組』では野菜を炒めたきんぴらが掲載されているように、江戸時代から一般的であった。しかし和食の一汁三菜は煮物・焼き物・和え物であり、炒めるというのは一般的ではなかった。ただし筑前煮のような、炒め煮はあった。 明治時代以前においては油脂そのものが貴重品であり、それを不可欠とする炒めものは一般的ではなかった。しかし天ぷらなど、もっと油を使う料理も食べられていたので、野菜炒めが好まれなかったかもしれない。明治から大正にかけて西洋風の調理法が日本国内でも紹介されるようになると、バターを用いた炒めものを紹介する料理書が急速に増加した。しかし食用油は依然貴重品であり、油脂を大量に要する中華風の野菜炒めは当時の料理書にあまり掲載されていない。 1920年代、ベンジン抽出法によって大豆油の生産量が増え、食用油として広く一般的に普及し始めた。料理書の普及や女子教育の高等化などによって大正時代には西洋料理が都市部で普及し、和洋折衷料理として一般的な食卓に取り入れられるようになった。大正末期から昭和初期には、(専門料理ではなく)家庭料理として、ジャガイモ・コマツナ・ニンジン・ネギ・卵などを油で炒め、醤油・塩コショウ・味噌などで味をつけた料理が一般的に食べられるようになっていたことがわかっているが、畑作地帯では「こんなおへだら(くだらない、変な)料理ばっかつくってんじゃねえ」と舅から叱られたとの記述も残っており、依然としてやや特殊な料理であったということもうかがえる。また、当時の記録のおよそ半数は野菜・きのこ類(ナス・山菜・ゴボウ・葉物など)1種類のみで作った炒めものであり、後に一般的となるもやし・タマネギ・ピーマンなどは使われていなかった。 1950年代から1960年代にかけて高度経済成長期を迎えると、ガスと電気が一般家庭の台所に普及してこの調理方法がきわめて広く一般家庭で見られるようになり、現在に至る。野菜炒めは調理が簡単で、扱う食品の数や種類の調整が容易であり、肉を加えることにより児童にも食べやすくなるよう工夫できる特徴をもつことから、小学校の家庭科の調理実習の題材としてもよく採用される。また、大学生がよく作る料理としても上位に位置することが報告されている。
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