復古的箏曲様式の確立とは? わかりやすく解説

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復古的箏曲様式の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/22 08:22 UTC 版)

吉沢検校」の記事における「復古的箏曲様式の確立」の解説

江戸時代音楽中期以降三味線リードしてきたが、幕末にはその技巧発展達してしまい、またそこに複雑に箏が絡み合う替手」式合奏発達楽曲形式としての手事もの」も完成し行き着く所まで来たという感があり、それを超える新たな作曲表現模索されるようになったこのような試み幕末音楽作品色々なかたちで垣間見えるが、中でも元禄生田検校以来三味線対し従属的な立場にあった箏に再注目することによって、作曲新たな方向性を見いだしたのが京都光崎検校であり、「五段砧」「秋風の曲」など箏のみの曲をも残している。吉沢検校その影響を受け、古い時代箏曲である「組歌」や、さらには雅楽家羽塚秋楽に雅楽学んで研究し楽箏調弦ヒント得た新調弦を考案、「古今組」「新古今組」をはじめとして本位の曲を多く作曲した。これらは箏曲本来の気品雅楽的な古雅さを備え一方で音楽的にはより自由な展開をさせ、近代的ともいえる印象的描写性もみられ、よく独自のスタイル確立している。維新後には全国的に広く知られるようになり、特に「千鳥の曲」と同様の様式の曲が大阪中心に各地作られることとなった。「明治新曲」と呼ばれる曲群がそうである。また、例えば「千鳥の曲」に見られる海辺描写的表現は、後世の「春の海」を予見させるものがある。つまり吉沢の箏作品光崎検校の箏作品含め)は「千鳥の曲」を一つ転換点として、明治以降日本音楽流れ方向づけることになったということもできるであろう。ただし作曲が進むに従い晩期作品では簡潔美の追求進み流麗さすら排除され一般受けしづらくなる傾向にある。これは多分に人の世煩瑣や最幕末不安定な世相厭う芸術家として孤高精神発露ゆえなのであろう。しかし、やはりこういった吉沢路線受け継ぎ京極流を打ち立てた鈴木鼓村のような明治期箏曲家もいる。このように幕末期箏曲における吉沢検校業績には、実に多大なものがある。しかし次に挙げるように、吉沢検校には従来京流手事もの作品や、胡弓のための作品少なくないことを忘れてならない

※この「復古的箏曲様式の確立」の解説は、「吉沢検校」の解説の一部です。
「復古的箏曲様式の確立」を含む「吉沢検校」の記事については、「吉沢検校」の概要を参照ください。

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