コルベールとルブラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 20:38 UTC 版)
1662年、フォーブール・サン・マルセルの作業所は、隣接地とともに、ルイ14世の財務総監ジャン=バティスト・コルベールが購入し、総合的に内装用品が生産されるようになった。ここではタペストリーやすべての種類の家具調度品のデザインが王室御用画家シャルル・ルブランの監督下で行われた。彼は監督、首席デザイナーを1663年から1690年まで務めた。 ルイ14世の財政的な問題のために、1694年に工場は閉鎖された。しかし1697年には王室御用達のタペストリーの向上として再開した。そこは、工場の操業が中断するフランス革命の時までボーヴェ・タペストリー製作所と肩を並べていた。 復古王政期の間ブルボン家は工場を再開させた。1826年、絨毯の生産がタペストリーのそれに加わった。1871年、パリ・コミューンの乱で建物一部が焼失した。工場はいまも国営工場として操業している。
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