コルボーン旅団の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:30 UTC 版)
「アルブエラの戦い」の記事における「コルボーン旅団の崩壊」の解説
コルボーン旅団とジラールの左翼のマスケット銃の撃ち合いは非常に激しく、両軍とも浮足立った。フランス軍は崩壊し始め、退却しようとする兵を士官が剣をかざして食い止めなんとか踏み止まった。マスケット銃の射撃と支援の大砲からのぶどう弾で激しく攻撃されていたコルボーンの左翼は、銃剣突撃で勝負を決しようとしたが失敗した。右翼のほうはフランス軍と射撃戦を続けていたが、揺らぐ決意を確かめながら、銃剣を付け突撃した。 旅団が戦場に降る、視界を遮る雹とにわか雨へ向かって移動したので、両軍ともマスケット銃が使えなくなった。視界の低下を利用して、ラトゥール=モブールがポーランド騎兵2個連隊をコルボーンの無防備の右側面に向けて突撃させた。不意を突かれたイギリス軍歩兵を突破し、第1ヴィスワ槍騎兵連隊と第2ユサール連隊がコルボーンの3個連隊をほぼ全滅させた。残る1つ、第31歩兵連隊(英語版)のみ、方陣を組み守ることができた。フランス軍騎兵はコルボーンのKGL砲兵隊へも突撃を続け大砲を鹵獲した(しかし後に榴弾砲を除き全て奪回された)。 槍騎兵は第31連隊の方陣を突き抜け連隊旗5旒と大砲8門を捕獲し、そしてベレスフォードとその幕僚を散り散りにし、サヤスの横隊の後面を攻撃した。サヤスはジラールへの射撃を続けながら、この突撃をひるまずに受けた。このときには雨は止んでおり、ベレスフォードの騎兵を指揮していたラムレイは、フランスおよびポーランド騎兵により生じた惨状をようやく把握することができた。ラムレイは第4竜騎兵連隊(英語版)の2個大隊を投入し槍騎兵を蹴散らしたが、イギリス軍の騎兵も、ラトゥール=モブールが槍騎兵の退却を助けるために投入した戦力十分なユサールに撃退された。これと同じくして、第29歩兵連隊(英語版)(ステュワートの2番目の旅団の先頭の連隊)が散らばったヴィスラ槍騎兵を射撃した。しかし実際には、この一斉射撃(英語版)は多くが狙った目標を外し、代わりにサヤスの兵の後方の列に被害を与えた。それにもかかわらずスペイン兵はしっかり踏み止まり、おそらくは彼らの行動が連合軍を崩壊から救った。 いくつかのイギリスの記録には、ポーランド騎兵はイギリス歩兵への降伏を拒否し、横たわるよう負傷兵を故意に槍で突いたと記されている。アルブエラの戦いの後、イギリス第2師団は情け容赦なくポーランド兵を攻撃することを誓ったと言い伝えられている。ベレスフォードによれば、コルボーンの3個連隊は損害1,258(戦死319、負傷460、捕虜479)を負った。スールトの報告によれば、ヴィスワ槍騎兵は591名中130名が戦死した。
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