ポーランド騎兵とは? わかりやすく解説

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ポーランド騎兵(フサリア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:33 UTC 版)

ユサール」の記事における「ポーランド騎兵(フサリア)」の解説

詳細は「フサリア(英語版)」を参照 当時リトアニア大公国同君連合組んでいたポーランド王国では、重騎兵それまで中世式の槍騎兵に代わって、シュラフタポーランド王国あるいはポーランド・リトアニア共和国貴族からなるユサール槍騎兵編成した。この騎兵の形は、ポーランド女王アンナ婿入りポーランド王としてアンナ女王王国共同統治したステファン・バトーリが16世紀前半祖国トランシルヴァニア公国から最初に持ち込んだと言われるポーランド語ではフサリア(Husaria)と呼ばれる導入当初はもとの驃騎兵のままであり、兵科としては軽騎兵一種であったその後祖国トランシルヴァニアユサール甲冑脱ぎ捨て軽装になっていくのに対しそれ以前からヤン・タルノフスキ新式兵法定着していたポーランドのフサリアたちは厚い真紅ベルベットビロード)の服の上に贅の限りつくした装飾ほどこした金属製甲冑をつけ、そのうえに豹やテン毛皮着込み巨大な鳥羽飾り背負い突撃時には風圧対策として馬の鞍に器具固定した)、鮮やかな白と紅のポーランド軍バナーを体に纏って飾るという流麗ないでたちの、長槍武装した独特な衝撃重騎兵軍団有翼衝撃重騎兵)へと発展したユサール騎兵呼ばれるもので「衝撃重騎兵」(Heavy shock cavalry)の兵科に入るのはこのポーランドのフサリアのみである。馬は大型農耕馬ではなく中型乗用馬用い中型ではあるが当時ヨーロッパの他の乗用馬比して体格大きめ高速で走る高価なアラブ馬使用された。これはトルコ軍との戦いにより鹵獲したもの繁殖品種改良したのであったヨーロッパにおける軍用アラブ馬大規模飼育はポーランド始まったのであり、フサリアはこのアラブ馬国内普及によって完成した王立飼育場では大量予算投入によって最先端品種改良が行なわれ、品種改良法は秘匿され、産出されるアラブ馬種馬仔馬全国販売され一部輸出された。18世紀ポーランド分割後になって新たにイギリス台頭するまで、軍用馬最先端技術ポーランド独占し続けた。 フサリアの羽根飾り攻撃時に使用する場合としない場合があった。儀礼の際には必ず使用されたようである。この羽根飾りは元々は中世モンゴルとの戦い自軍騎兵投げ縄による攻撃苦しめられたことから白兵戦における投げ縄対策として考案され、その効果高かったため定着した。この羽根飾り戦場使用される際、突撃時に風圧巨大な騒音をたて敵兵恐れさせたとも言われるが、映画撮影用に再現した事例では大きな音は発生しないという結果出ている。羽根飾り戦場使用する場合、1本ないし2本を鞍に固定して立てた騎士直接背負うと風圧体勢不安定になるためと推定される。この独特なユサール部隊フサリアは、その羽飾り象徴とし16世紀から17世紀にかけてヨーロッパ最強騎兵隊として知られ当時ポーランド王国黄金時代作り、その広い国土防衛する任務にあった。 彼らは突撃槍騎兵であり、敵のパイクよりもはるかに長大な「コピア」(Kopia)と呼ばれるがまず第一武器であった突撃し目標貫通するとその運動エネルギーによりコピアは折れた自陣内に従者たち移動輸送のため駄馬乗っていたことが多い)が控え替えのコピアを何本も持っていた。騎兵一度突撃する自陣戻り従者から替えのコピアを受け取って集団編成して再度突撃し、これを繰り返して敵を粉砕したそれぞれのコピアの先端には体に纏うのと同じ白と紅の細いバナーがついていた。この白と紅のバナー現代ポーランドの国旗原型となった。コピアは消耗品であったため現存するもの数本しかなく、貴重な資料となっている。 フサリアはそのほか、敵の鎧を突き刺す長剣「コンツェシュ」(Koncerz)、突き刺す他に叩き斬る用途にも使用される長剣パラシュ」(Pałasz)、敵兵なで斬りにする大型サーベルシャブラ」(Szabla)、接近戦使われる戦斧「ナディヤック」(Nadziak)、そして小弓ないしピストル(Pistolet)、攻撃用メイス「ブズディガン」(Buzdygan)を全て同時に装備していた。ときには小型の丸い盾を持っていた。ブズディガンは仏像などに見られる古代インド棍棒古代スキタイ人棍棒酷似しポーランド伝統棍棒で、混戦では常に好んで使用され大尉相当するロトミストシュ以上の指揮官高価な貴金属作られ指揮用ブズディガンを持っていた。味方砲兵隊弓兵隊、銃兵隊による援護射撃との巧み組み合わせ行われた彼らの独特な突撃戦術ヤン・タルノフスキ兵法とこの新騎兵組み合わせて発展させたものであり、敵のパイク隊や銃兵隊に対しても非常に有効であった平原における合戦では味方勝利を決定する手段となった一方で突撃準備のために多少時間要するため、移動中に隘路などで敵に急襲されるとその重装備不利にはたらくこともあった。 フサリアの装備戦法敵軍銃撃砲撃に対しても非常に有効で、フサリア突撃時の敵軍銃砲による損害は常に僅少であった。彼らは大きく散開したころからゆっくりと走りだし、速度高めながら徐々に味方との横の距離を縮め敵陣到達するときに最も高速かつ最も密集したとなった決戦の場においてフサリアが完全なる無敗誇った2世紀の間、その装備戦法銃砲発達合わせて常に発達していった。 とりわけフサリアの特長は、圧倒的少数大軍打ち負かすことと、自軍兵の損害少なさにある。17世紀初頭スウェーデンとの戦争、キルホルムの戦い英語版)では、ポーランド側のフサリア2600騎がスウェーデン側の全兵科からなる36000上の大軍突撃しこれを撃滅したが、ポーランド側戦死者が100-200だったのに対しスウェーデン側の戦死者は6000-9000と見積もられている。その数年後にロシア・スウェーデン連合軍対決したクルシノの戦いでは約5000騎のフサリアが、およそ35000からなる敵軍打ち負かした17世紀後半第二次ウィーン包囲その後ヨーロッパ運命決め戦いであったが、フサリアの長所存分に発揮され典型例である。ヨーロッパ連合軍がウィーン郊外の丘の上陣取ると、連合軍総司令官であるポーランド国王ヤン3世率いるフサリア3000騎が、ウィーン陥落すべくこれを包囲していたオスマン・トルコ15対す中央突撃敢行、敵の総司令官カラ・ムスタファ・パシャのいる本陣まで一気に縦深し大混乱に陥れ、たった1時間トルコ軍全軍散り散りに敗走させている。 上述のキルホルムの例で数字大きな幅があるのは各国の歴史家により主張異なるためであるが、いずれにしてもこれらの例は驚くべきことであろう。もともとフサリアはちょうど3倍の敵軍圧倒する事を前提研究装備されており、200人のフサリア各小隊それぞれ敵軍600人の銃兵・槍兵部隊攻撃する訓練行い自軍無傷のまま敵を殲滅することを当然としていた。 17世紀後半になるとフサリアは衰退していくが、その理由銃砲発達よるものではなかった。フサリア衰退の原因は、17世紀通じて共和国襲った度重なる大戦争気候変動による土地生産性急激な低下、および一部シュラフタ富裕層マグナート)の税金逃れ、彼らの増税反対運動による政府および各地中小シュラフタ経済的疲弊であり、国家中小シュラフタたちが完全装備をした大部隊を常設維持すること自体世紀末にかけて急速に困難になっていったことであった17世紀終わりになると国内政治的に大きく分裂し国軍においては熟練した兵員数減少および(馬も含めた装備劣化激しく、フサリアはもはや実際戦闘使用できる軍団として成り立つ状態ではなくなっていった。これにより中世晩期から近代初期にかけて共和国対外戦争華やかに彩った最強騎兵団フサリアは、軽装備ながらも部隊維持安価済み戦術工夫次第で高い戦力発揮した槍騎兵ウーランポーランド槍騎兵)にとってかわられた。 以後、フサリアは主に儀礼用の部隊となっていった。フサリアは1770年軍制改革解散した1989年以降現在のポーランドでは歴史祭り盛んに行なわれるようになり、フサリアに扮し隊列はどの歴史祭りでも花形で、その華やかな姿は国内外写真ファン歴史ファン人気集めている。 ベルリンワルシャワを結ぶユーロシティ特急に「フサリア」(Husarz)の愛称冠されている。またポーランド軍制帽前立てには同国紋章にちなん鷲章付けられるが、中でも空軍ではがフサリアの羽飾り囲まれている意匠となっている。

※この「ポーランド騎兵(フサリア)」の解説は、「ユサール」の解説の一部です。
「ポーランド騎兵(フサリア)」を含む「ユサール」の記事については、「ユサール」の概要を参照ください。

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