ポーランド農民党再建
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「ポーランド農民党」の記事における「ポーランド農民党再建」の解説
ポーランド挙国一致臨時政府(ポーランド亡命政府とルブリン政権が合同して45年6月末に発足)の閣僚(副首相兼農業・農地改革相)として入閣していたポーランド亡命政府首相ミコワイチク(1945年6月に帰国)は、1945年8月22日にポーランド農民党(PSL)を再建した。 発足当初からポーランド労働者党(Polska Partia Robotnicza、以下「労働者党」)に対抗する勢力として、国民の強い支持を集め、労働者党の衛星政党であるルブリン農民党(ルブリン委員会の構成員として参加していた「人民の意思」派によって44年9月に結成された。正式名称は「農民党」(SL)であるがミコワイチクの党と区別するため本稿では「ルブリン農民党」と表記する)からも参加者が相次ぎ、その勢いは幾つかの地方組織を壊滅状態に追い込むほどであった。そして全国国民協議会(Krajowa Rada Narodowa、KRN。1944年1月1日に臨時政府樹立までの立法と行政の機能を有する「ポーランド国民の事実上の政治代表機関として」で労働者党が結成した組織)幹部会が45年10月16日に「政党乱立と細分化を抑えるため」として政党登録停止措置を打ち出した結果、農民党が反労働者党勢力唯一の政治的受け皿となったため、1946年初頭には党員数が労働者党や社会党の合計を上回る60万名を超えた。
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