ポーランド農民党の復活
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「ポーランド農民党」の記事における「ポーランド農民党の復活」の解説
1989年6月に行われた部分的自由選挙の結果、独立自主管理労働組合「連帯」 (以下「連帯」)が圧勝し、同年9月「連帯」による非共産党政権が発足した。これにより統一農民党は同年11月26日、党としての活動停止を決議し、新たにポーランド農民党「再生派」(PSL“Odrodznie”)を結成、ボンク(Henryk Bąk)が独自に結成したポーランド農民党と合同して、1990年5月にポーランド農民党を結成した。 完全自由選挙となった1991年の議会選挙では、48議席を獲得して第5党になった。任期を前倒しする形で1993年に行われた選挙では、急激な経済改革に対する批判票を集め132議席を獲得、SLDに次ぐ第2党となった。選挙後、SLDとの連立政権が発足し、パブラク党首は首相に就任した(1993年10月~1995年3月)。
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