ポーランド諜報機関との協力とは? わかりやすく解説

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ポーランド諜報機関との協力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:05 UTC 版)

杉原千畝」の記事における「ポーランド諜報機関との協力」の解説

千畝のハルビン時代後輩で在ベルリン満洲国大使館一等書記官笠井唯計(ただかず)が理事官補だった1940年昭和15年)、フィンランド尾内陸軍大佐相談し情報提供引き替え満洲国パスポート出した一人に、イェジ・クンツェヴィチなるポーランド情報将校がいた。クンツェヴィチは、カウナスの千畝と協力するときは「クバ」と名乗るポーランド参謀本部第二部アルフォンス・ヤクビャニェツ大尉であった1941年昭和16年7月ゴルフに行く笠井はヤクビャニェツを便乗させた。ヤクビャニェツ大尉は、ポーランド地下抵抗運動秘密集会出席するところだった。 ピクニックという名目国境付近偵察する千畝らの動向以前から不審抱きドイツ防諜機関密かに千畝周辺探索続けていたが、1941年、ついに日本および満洲国大公使館ポーランド情報機関協力関係つかんだ7月6日夜半から7日未明にかけて、ヤクビャニェツ大尉さらに満洲公使館メイドとして勤務していたザビーナ・ワピンスカがベルリン中心部ティーアガルテン逮捕され拷問結果日本大公使館外交行囊用いて中立国スウェーデンからロンドン亡命ポーランド政府情報を送るクーリエ経路ドイツ側察知されることになったのであるドイツ防諜機関責任者であったヴァルター・シェレンベルク有名な回想録第12章まるまる日本ポーランド陰謀」と題されている。そして「K某」(ヤクビャニェツの偽名「クンツェヴィッチ」の頭文字)の逮捕契機明らかになった対独諜報網の全欧規模広がり目の当たりにしたシェレンベルクは、ソ連共通の敵としているはずの日本深く関与していることにいらだち露わにしている。ドイツ諜報機関また、日本人ポーランド諜報部との協力関係後援者として、在ローマ日本大使館河原一郎一等書記官イエズス会総長のヴウォジミエシュ・レドゥホフスキ(ポーランド語版)神父深く関与していることについてイタリア国防部から警告受けていた。 後にストックホルム武官府の小野寺信大佐当時)に引き継がれるポーランド諜報網との接触に関しては、まず亡命政府ガノ大佐からワルシャワ日本大使館武官府にポーランド情報組織接収提案があり、日本側は表向きドイツとの同盟関係理由拒絶した。しかし、在欧日本ポーランド将校外交官たちは密かに接触続け、ビィウィストク(ポーランド)やミンスクスモレンスクソ連)を拠点とするポーランド諜報網から、在欧日本大公使館武官府はソ連軍事的動向を高い確度で知ることができた。千畝の接触は、すでにフィンランド時代始まっており、まずヘルシンキ在住ジャーナリスト、リラ・リシツィンを通して、その従姉妹にあたるゾフィア・コグノヴィツカの息子で、ポーランド武装闘争同盟」(ZWZ;のちのAK 国内軍)のカウナス地下司令部メンバーであるタデウシュ・コグノヴィツキに近づくことから始まった。千畝の本省への回電に、実際に足を運んでいない「スモレンスク」「ミンスクに関する情報含まれているのは、ポーランド諜報網との協力成果である。 千畝は、1941年昭和16年)の5月9日後發電信で、「獨關係ハ六月何等決定スヘシトナス」と、6月22日勃発する独ソ戦時期正確に予測し、また経済通らしく、「メテ多量ノ『ミンスク』發穀物到着セリ」と、ソ連側穀物大量備蓄始めて長期戦備えていることを報告している。大著ソヴィエト聯邦國民經濟大觀』でソ連経済躍進伝えた千畝は、ネップ呼ばれる計画経済によって早期経済目標達成したソ連がその余力軍事部門傾注していることも熟知しており、ヨーロッパ席巻するドイツ破竹の勢い幻惑されている本国に、「独ソ戦近し」、またソ連日本考えているほど早く戦線放棄しないことを警告する電信打電した1941年昭和16年4月18日大島は千畝らの情報をもとに、東京に独ソ開戦情報意見具申伝えているが、日米交渉没頭していた日本政府は、他が見えない近視眼に陥っていた。第2次近衛内閣書記官であった富田健治は、「(「独ソ戦近し」を伝え大島からの)この情報をそう強く信じていたわけではないが、かなり心配していた。しかし帰国した松岡否定的であり、陸海軍も独ソ開戦せずという空気であったので、そのまま見送られた」と述べている。戦後衆議院議員になる富田健治証言は、戦時日本インテリジェンス機能麻痺と、「空気」で最高指導政策決定されてしまう恐るべきガバナンス欠如物語っている。出先には優秀な諜報要員配置しながら、中央適切な分析官を用意できなかったため、命がけ入手され情報活かされなかった。また、情報伝達技術的側面の遅れも深刻で、大島の電信は、一か月経たない5月10日英国諜報機関によって解読されてしまった。

※この「ポーランド諜報機関との協力」の解説は、「杉原千畝」の解説の一部です。
「ポーランド諜報機関との協力」を含む「杉原千畝」の記事については、「杉原千畝」の概要を参照ください。

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