地下司令部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 07:19 UTC 版)
「陸軍総司令部 (ドイツ)」の記事における「地下司令部」の解説
陸軍総司令部は、1939年の開戦直前に完成したベルリン郊外のヴュンスドルフ(ドイツ語版)に設けられた地下ブンカー施設に移された。当時から既に防空意識が高く、すべてが地下に構築され、地上は長閑な農村風景が演出されていた。秘匿名称は Maybach I である。国防軍最高司令部のそれは Maybach II と呼ばれていた。1940年4月20日からは2個指揮通信連隊が追加されて陸軍総司令部と軍集団司令部、軍司令部との長距離通信網を充実させた。共用の長距離指揮通信施設(Zeppelin、あるいはAmt 500)である。戦後も駐留ソ連軍司令部が1990年のドイツ再統一まで利用した。現在、ブンカー跡を見学することが出来る。 ベルリン市内のベンドラー街(英語版)に残された国防省ビルには国内予備軍司令部ほかが入っていた。ここは1944年7月20日におけるヒトラー暗殺未遂事件の舞台となった。
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