旧陸軍地下司令部跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 16:55 UTC 版)
昭和20年代、児童館の場所は対空高射砲陣地で、何基も設置されていた。その地下には、旧陸軍の地下司令部の壕が残る。この壕は終戦間近の1945年(昭和20年)6月に本土決戦を想定して建設が始まったもので、機密保持のため宇都宮師管区の東部36・37・38・42部隊に属する隊員約250人が秘密裏に工事を進めた。作業隊は11個小隊に分けられ、各々が1か所ずつ出入り口の建設を担当した。3交代で24時間態勢で建設が進められたが、終戦までには間に合わず、実際に使用されることはなかったが、アメリカ軍が進駐してきた際に未完成では日本軍の名折れであるとして、終戦後も完成まで工事は行われた。 戦後、地元では「八幡台の防空壕」と通称されていたが、2000年(平成12年)に戦災記録保存事業のために調査が行われ、旧陸軍地下司令部跡であることが判明した。2002年(平成14年)からは一般公開をしていたが、内部の崩落の危険があるため、2021年(令和3年)現在は公開していない。 司令部の壕は、AラインからJラインまで10本の壕で構成され、八幡山公園地下を南北に貫く最も長いAラインは364.6 mに及ぶ。他のラインはすべてAラインに接続しており、最も長いCラインが49.6 m、最も短いFラインは25.0 mである。
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