啓蒙時代の心理学的思想
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「心理学の歴史」の記事における「啓蒙時代の心理学的思想」の解説
初期の心理学は(キリスト教的な意味での)魂の研究として扱われた。近代哲学的な形の心理学はルネ・デカルト(1596年-1650年)の著作や、彼が生み出しそのうち最も関連性のあるものは彼の『省察』(1641年)に対する反論として発表された議論の影響を強く受けている。後の心理学の発展に対して重要なものとしては他に彼の『情念論』(1649年)や『人間論』(1632年に編纂されたが、カトリック教会によるガリレオ・ガリレイを聞きつけて、『世界論』とともに公刊が差し控えられた; 最終的にデカルトの死後1664年に発表された)がある。 医師としての教育を受けてはいないものの、デカルトはウシの心臓に関する広範な研究を行っており、彼はウィリアム・ハーヴェイからの応答に値するほど重要とされた。デカルトは最初にハーヴェイの血液循環説に賛同した人物の一人であるが、血液循環説を説明するためのハーヴェイの形而上学的枠組みには反対した。デカルトは動物や人間の死体を解剖した結果血流の研究に親しみ、肉体は魂がなくとも動きうる複雑な装置であるという結論を導いて、それにより「魂の教説」を否定した。医学の一領域としての心理学の出現はトマス・ウィリスによって大きく後押しされたが、それは単に脳機能の分野において彼が心理学に言及した(「魂の教説」)からだけではなく、彼が詳細な解剖学論文『獣魂論』(羅:De Anima Brutorum、1672年)を発表したことによる。しかし、ウィリスは自身の著作に示唆を与えたものとしてデカルトのライヴァルピエール・ガッサンディの影響を認めていた。 イギリス経験論哲学者や連合主義哲学者は経験的心理学が後にたどる道に深い影響を与えた。ジョン・ロックの『人間悟性論』(1699年)やジョージ・バークリーの『人知原理論』(1710年)、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』(1739年-1740年)は、デイヴィッド・ハートリーの『人間観察』(1749年)やジョン・ステュアート・ミルの『論理学体系』(1843年)とともに特に影響力が高い。さらに、数人の大陸合理主義哲学者の著作、特にバールーフ・デ・スピノザ(1632年-1677年)の『人間知性改善論』(1662年)、ゴットフリート・ライプニッツ(1646年-1716年)の 『人間知性新論』(1705年に完成され1765年に発表された)が挙げられる。 デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールも著書『不安の概念』(1844年)や『死に至る病』(1849年)によって人文的・実存的・近代的な心理学派に影響を与えた。
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