シュチェチン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 07:24 UTC 版)
シュチェチン (ポーランド語: Szczecin [ˈʂt͡ʂɛt͡ɕin] ( 音声ファイル)) は、ポーランドの都市で、西ポモージェ県の県都。ドイツ名はシュテティーン (ドイツ語: Stettin [ʃtɛˈtiːn] ( 音声ファイル)[2])。ポーランド北西部にあり、ドイツとの国境沿いに位置する。バルト海に面し、ポーランドではグダニスクに次ぐ第2の規模の港湾都市で機械工業などが盛んである。歴史的にポメラニア、プロイセン王国、神聖ローマ帝国、ドイツ帝国の影響下にあった時代が長い。
- ^ “Local Data Bank”. Statistics Poland. 2022年7月18日閲覧。 Data for territorial unit 3262000.
- ^ Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 747. ISBN 978-3-411-04066-7。 なおシュテッティンやシュテティンという表記もある。
- ^ A. W. R. Whittle, Europe in the Neolithic: The Creation of New Worlds, Cambridge University Press, 1996, p.198, ISBN 0-521-44920-0
- ^ Archeologia Polski, Volume 38, Instytut Historii Kultury Materialnej (Polska Akademia Nauk, page 309, Zakład im. Ossolińskich, 1993
- ^ Białecki, Tadeusz (1992). Historia Szczecina. Wrocław: Zakład Narodowy im. Ossolińskich. pp. 9, 20–55, 92–95, 258–260, 300–306.
- ^ Werner Buchholz, Pommern, Siedler, 1999, p. 35, ISBN 3-88680-272-8
- ^ 暴動、各地へ波及 デモへ発砲許可命令『朝日新聞』1970年(昭和45年)12月18日夕刊 3版 1面
- ^ “Promedios y totales mensuales”. 2021年10月31日閲覧。
- 1 シュチェチンとは
- 2 シュチェチンの概要
- 3 歴史
- 4 地理
- 5 経済
- 6 姉妹都市
シュチェチン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 10:02 UTC 版)
詳細は「シュチェチン」を参照 ポモージェ県の県都で、オドラ川の河口にある港湾都市。1630年代までポーランド人に近いスラヴ系のグリフィン家(Gryfici)がポメラニア公家となりこの地を統治していたが、住民のほとんどは神聖ローマ帝国から移住してきた。その後スウェーデン領、プロイセン王国領、ドイツ帝国領と変遷し、第二次世界大戦後よりポーランド領。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍との激しい戦闘で街の大半が破壊されたが、戦争が終わると歴史地区はポーランド市民により戦前の姿に復元された。シュチェチン近郊のシフィノウイシチェ(Świnoujście)からは、スウェーデンのイースタ(Ystad)、デンマークのコペンハーゲンとロンネ(Rønne)へフェリーが運航している。公式サイト(英語)あり。 シュチェチン テラス 県庁舎 県庁舎 シュチェチン海運大学 シュチェチン城 シュチェチン城 旧市街 旧市街の「王の門」 旧市庁舎 白鷲広場 白鷲広場のグルムブク館 聖ヤコブ大聖堂 赤い市庁舎 郵便局 郵便局 中央郵便局 銀行 港の門 聖ヤン教会 聖ヴォイチェフ(アダルベルト)教会 ドンビェ地区教会 市庁舎 レストラン シュチェチン港 シュチェチン港
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