開かれた社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 22:35 UTC 版)
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開かれた社会(ひらかれたしゃかい)、オープン・ソサエティ(open society)とは、1932年にフランス哲学者アンリ・ベルクソンから提唱されたコンセプトであり[1][2]、その後第二次世界大戦中にイギリス哲学者カール・ポパーによって発達した[3][4]。
ポパーは、開かれた社会を、自然的で部族的な閉ざされた社会(クローズド・ソサエティ)からの歴史的連続体として捉える立場であり、対面コミュニケーションを欠いた抽象的で個性喪失した社会から、伝統に対しての批評的態度によって、開かれた社会に至ると主張した[5]。
開かれた社会においては、政府は敏感で寛容深く、政治機構は透明で柔軟であるとされる。それは権威主義の反対であると支持者らは主張している。
定義
ポパーは、開かれた社会を「その個人らは、個人自身の意思決定について向き合っている(confronted)」と定義し、「魔術的、部族的、集団主義な社会」とは対照であるという[6]。
さらなる特徴
人道主義、平等主義、政治的自由は、開かれた社会が理想とする基本的な特徴である。これらは古代アテナイの政治家ペリクレスが擁護していたもので、彼の葬儀のスピーチでは、「社会的地位によって能力が評価されなかったり、属する階級によって才能を妨げられることはなく、 貧困によって道を妨げることは無い。国家に奉仕できる人であれば、その出生が不明であることはハンディになることは無い。我々の政府で楽しむ自由は、我々の普通の生活にも及んでいるのである。」と述べられている[7]。
脚注
- ^ • Henri Bergson, Les Deux Sources de la morale et de la religion, Félix Alcan, 1937 [1932], pp. 287–343.
• Translated as The Two Sources of Morality and Religion, trs., R. Ashley A. and C. Brereton, with the assistance of W. H. Carter, Notre Dame, 1977 [1935], ch. 4. - ^ Leszek Kołakowski, Modernity on Endless Trial (1997), p. 162
- ^ K. R. Popper, The Open Society and its Enemies, 2 vols. (1945).
- ^ A. N. Wilson, Our Times (2008), pp. 17–18
- ^ K. R. Popper, The Open Society and its Enemies (1945), v 1:1 and 174–75.
- ^ Popper, K., The Open Society and Its Enemies, Volume One (Routledge, 1945, reprint 2006), chapter 10, part I.
- ^ Thucydides, The History of the Peloponnesian War, Book II: Pericles' Funeral Oration.
参考文献
- R. B. Levinson, In Defence of Plato (1953)
- Liberalism as threat to the open society: Willard, Charles Arthur. Liberalism and the Problem of Knowledge: A New Rhetoric for Modern Democracy, University of Chicago Press, 1996.
関連項目
外部リンク
- 『閉じた社会・開いた社会』 - コトバンク
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