グライフ作戦
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グライフ作戦(ドイツ語: Unternehmen Greif)とは、第二次世界大戦のバルジの戦いの最中にオットー・スコルツェニー率いる武装親衛隊コマンド部隊が展開した偽旗作戦。アドルフ・ヒトラー自身が発案したとされ、その目標はミューズ川に掛かる橋を破壊することであった。作戦に参加したドイツ兵士は鹵獲したイギリス軍およびアメリカ軍の軍服を着用し、鹵獲した連合軍車輌を用いて戦線後方に浸透、連合軍に混乱を引き起こそうと試みた。しかし、最終的には車輌の不足や軍服や車輌の偽装に基づく制限から、当初の目的を達成することはできなかった。
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- ^ “Trial of Otto Skorzeny and others”. Law Reports of Trials of War Criminals IX: 90–94. (1949) "The ten accused involved in this trial were all officers in the 150th Panzer Brigade commanded by the accused Skorzeny. They were charged with participating in the improper use of American uniforms by entering into combat disguised therewith and treacherously firing upon and killing members of the armed forces of the United States." "All accused were acquitted of all charges"
- 1 グライフ作戦とは
- 2 グライフ作戦の概要
- 3 作戦後
グライフ作戦
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詳細は「グライフ作戦」を参照 10月21日、オットー・スコルツェニー親衛隊中佐はヒトラーから直々に特殊任務を命じられ、特殊部隊第150SS装甲旅団(英語版)を指揮することになった。旅団は1個の歩兵班と2つの機甲班で編成されていたが、歩兵班のなかにはアメリカ軍の軍服を着てアメリカ兵に成りすまして後方攪乱するアインハイト・スティーラウ大尉率いる特殊部隊も含まれていた。特殊部隊は80人の編成であり、非常に流ちょうな英語を話すものもいたが、なかにはどうにかわかる程度のものもいた。特殊部隊は偵察班と破壊活動班に分けられ、アメリカ軍から鹵獲したジープに分乗し、敵中深く侵入しアメリカ軍を混乱させて作戦の突破口を開くことが求められていた。しかし、作戦の目的はスコルツェニーら数人の部隊幹部しか知らず、他の隊員には伏せられていた。そのため、この特殊部隊のなかで指揮官のスコルツェニーに「自分はパリに詳しいので連合軍最高司令部を占領する任務を任せてほしい」と自らアピールする隊員も現れたが、スコルツェニーは秘密保持からこの申し出を否定することはせず、のちにこのアピールが隊内に広がって作戦に予想外の効果をもたらせることとなった。 機甲班の目的は、先頭を進撃する予定であったパイパー戦闘団と並行して進撃し、アメリカ軍の眼を欺いて戦闘を有利に進めようというものであったが、これは、バルバロッサ作戦などで実績があったブランデンブルク隊と同様の任務であり、ドイツ軍として特別な作戦という訳ではなかった。部隊編成のためアメリカ軍から鹵獲したM4中戦車などが集められたが数が全く足りなかったので、M-10駆逐戦車に似せて改造したパンター戦車、アメリカ軍塗装を施したIII号突撃砲や、車両に砲塔のハリボテを付けた偽装車両など合計70輛が配備された。隊員はドイツ全軍から志願者を募った。陸軍だけではなく海軍や空軍からも志願者が殺到したが、英語を話せるものという条件に対してはせいぜい「イエス」「ノー」「OK」を理解する程度の志願者がほとんどであった。志願者は戦車訓練場に集められると、外部との連絡を一切遮断され、アメリカ人になりきる特殊訓練を受けた。訓練のなかにはアメリカ人らしくチューインガムを噛む訓練などもあったが、長い間刷り込まれた慣習は抜け切れるものではなく、アメリカ兵らしくガムを噛んでいても、将校が命令すると直ぐに飛び上がるように敬礼してしまうなど、アメリカ人になりきれない状況を見てスコルツェニーは頭を抱えている。 ドイツ軍の侵攻が開始されると、真っ先にスティーラウ大尉率いる特殊班が戦場に投入された。しかし、投入された第6SS装甲軍の戦区は同軍の苦戦によって、道路上には敵味方の車両があふれ作戦実施が困難となっていた。そこでスコルツェニーが作戦を継続するか思い悩んでいる間に特殊班の1部は既に活動を開始しており、アメリカ軍の後方深くの侵入に成功し、道路標識や通信設備を破壊してアメリカ軍を混乱させ、なかには3,000人のアメリカ軍大部隊に流ちょうな英語で嘘の進路案内をして違った道に誘導した班もあった。また、ある班はミューズ川を渡ってアメイ(英語版)を偵察して無事に帰還したが、結局この攻勢で唯一ミューズ川を越えたドイツ兵となっている。特殊班は捕らえられると、アメリカ軍の軍服を着ていたため多くがスパイとして即決裁判で処刑されたが、わずか80人の特殊班が挙げた戦果は素晴らしいものであり、アメリカ軍を大きく混乱させた。 この作戦で最も大きな効果を上げたのがリエージュの南エイワイユ(英語版)まで到達したギュンター・ビリング士官候補生率いる1班であった。そこでアメリカ軍に捕らえらてしまったが、班員の1人ヴィルヘルム・シュミット伍長は「部隊の指揮官はスコルツェニーである」「我々の真の目的はドイツ軍捕虜護送任務を装ってパリに向かい連合軍総司令部を襲撃することだ」という自白を行った。これは、一部の隊員がスコルツェニーに進言していた計画であるが、実際に進められてはいなかったのにも関わらず、一部の隊員の中には「この作戦の真の目的」と信じられており、シュミットも自信を持って自白したものであった。この自白を聞いたアメリカ軍も、いくらドイツ軍とは言えこんな荒唐無稽な作戦を実施するわけがないという意見が主流であったが、情報部次長が、シュテッサー作戦によってドイツ軍の降下猟兵が戦場の広範囲に降下していると誤認しており、「指揮官がグラン・サッソ襲撃でベニート・ムッソリーニを救出したスコルツェニーである、また広範囲に降下猟兵が降下しており、工作隊がパリを目指している可能性は高い」「工作隊は連合軍総司令官のアイゼンハワーの暗殺か誘拐を狙いにしているかも知れない」と警戒を呼び掛けた。 そのため、パリの連合軍司令部周囲には大量の憲兵が配置されて、さながら司令部が憲兵に包囲されていると揶揄された。また、アイゼンハワーにも常時護衛の兵士が付けられて自由に散歩もできず囚人のような生活を送った。さらに警戒しすぎた保安担当者は、アイゼンハワーに風貌が似て仕草の物まねも上手かったボールドウィン・B・スミス中佐を影武者に仕立てて、工作員をおびき寄せて殲滅するといった作戦を実行したが、当然ながら空振りに終わり、のちにこの作戦を知ったアイゼンハワーから保安担当者が厳しく叱責されている。パリの連合軍全軍には夜20時以降の夜間外出禁止令も出された。パリ市内にもスコルツェニーの工作隊が変装して潜入しているというデマが広がり、その工作隊はアメリカ兵を目潰しするため硫酸の小瓶を所持しているという話まで広がっていた。そのため、パリ市内は集団ヒステリー状態となって、幻の工作隊狩りが流行し、片言のドイツ語を話せる人物がドイツ軍のスパイとして糾弾されたり、アメリカ兵に愛想をよくしただけでバーの店主が工作隊の変装と疑われたりした。 前線も同様に混乱しており、至るところに検問所が設置され、兵員や装備の移動を停滞させることとなった。野戦憲兵は、友軍のアメリカ兵に銃を突きつけながら「ミッキーマウスのガールフレンドは誰か?」「1934年のメジャーリーグの優勝球団は?」「デン・バムズってなに?」「シナトラのファーストネームは?」「大統領の犬の名前は?」「漫画リル・アブナー(英語版)の主人公の故郷は?」などアメリカ人以外は知りそうもない豆知識的なクイズを出した。軍司令官も例外ではなく、ブラッドレーは検問でイリノイ州の州都のクイズでスプリングフィールドと正しく答えたが、憲兵が州都をシカゴと思い込んでいたため、彼は短時間の拘留を受けることとなった(イリノイ州最大の都市はシカゴであるため、多くのアメリカ人が誤解している)。解放されたブラッドレーであったが、また次の検問に停められ「女優ベティ・グレイブルの今の夫は?」というクイズが出された。ブラッドレーが答えられずに考え込んでいると、野戦憲兵はブラッドレー本人と確認できたのか、笑みを浮かべながら「ハリー・ジェイムスですよ」と言って通している。第7機甲師団(英語版)B戦闘部隊指揮官ブルース・C・クラーク(英語版)准将はシカゴ・カブスのクイズでアメリカンリーグに所属していると間違って答えたため、野戦憲兵は「こんなクイズを間違えるのはクラウツだけだ」と興奮してクラークを拘束している。このためクラークはドイツ軍の攻撃を受けているサン・ヴィトへの到着が遅れてしまった。中には階級の高い将校をわざと引き留めてクイズ攻めをするといった悪乗りをする野戦憲兵もいたという。 皮肉なことにこの事件のせいで、「ヨーロッパで最も危険な人物」と綽名されるようになったスコルツェニーだが、自身はこの作戦は失敗だったとしている。特殊班の一部は大きな成果を挙げていたものの、第6SS装甲軍の進撃は捗々しくなく、また部隊の存在が明らかになった以上、作戦に固執しても仕方ないと判断し、スコルツェニーは作戦に見切りをつけ、ディートリヒに特殊任務から外れて通常の戦闘任務に就きたいと申し出た。ディートリヒはスコルツェニーの申し出を承認し、第150装甲旅団は第1SS装甲師団所属となり、兵士達は通常のドイツ軍軍服に着替えている。第150装甲旅団は、12月21日に第1SS装甲師団の後方を脅かすマルメディの連合軍部隊の排除を命じられたが、ここでアメリカ軍の新兵器近接信管付きの重砲の砲撃をドイツ軍として初めて浴びることになった。目標の至近で炸裂し弾片をまき散らす近接信管付きの砲弾は、通常の砲弾よりも殺傷力が高く、1斉射で100人以上が死傷するなど部隊は大損害を被って恐慌状態に陥り、スコルツェニーは攻撃を諦めて撤退を命じている。鹵獲したM4やアメリカ軍戦車に偽装したパンターも大半が撃破されるか戦場に放棄された。この日、第1SS装甲師団の司令部が置かれたホテルにいたスコルツェニーは飛来してきたアメリカ軍の榴弾で重傷を負った。12月28日には旅団の将兵とともに撤退し、まもなく旅団も解散となった。
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