シュテッサー作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
詳細は「シュテッサー作戦(英語版)」を参照 連合国占領地域後方への空挺降下による本作戦の支援、連合軍の攪乱を狙いとするシュテッサー作戦が計画された。指揮官には歴戦の降下猟兵であったフリードリッヒ・フォン・デア・ハイテ中佐が任じられ、第2降下猟兵軍団(英語版)から降下猟兵が集められたが、多くは実戦経験に乏しく降下猟兵であるが実際に空挺降下の経験がない兵士であった。そこでハイテは自分の第6降下猟兵連隊からも歴戦の降下猟兵150名を部隊に編入させたが、ハイテに与えられた作戦の準備期間はわずか5日で、十分な作戦準備も事前の訓練も行うことができなかった。 作戦は攻勢初日の12月16日、作戦目標はマルメディから11km北の「バラク・ミシェル」十字路と決まり、ハイテの降下猟兵部隊は同地点に空挺降下してこれを確保、第12SS装甲師団「ヒトラーユーゲント」が到着するまでの24時間を防衛し、同地点への連合軍の増援と補給を妨害する予定であったが、輸送トラックのガソリン不足によって部隊が集結できず、作戦開始は翌日の12月17日にずれこんだ。同日午前零時直後、112機のJu 52輸送機が約1,300名の降下猟兵を搭載し、多くの雲と強い風雪の中離陸したが、輸送機の操縦士は未熟なものが者が多く、向かい風の影響を考慮していなかったのと、アメリカ軍の激しい対空砲火によって輸送機の編隊はバラバラに崩れてしまい、降下猟兵は戦場内外の広い地域にばら撒かれてしまった。 ハイテは予定場所に降下できたため、部下の掌握に努めたが、3時間かけて集められたのはわずか約150人であった。この人数では戦力的に不十分なため、ハイテは十字路を確保する計画を諦めて、付近に隠れてゲリラ戦をしながら友軍戦車の到着を待つことを指示した。食料は1日分しかなかったため、どうにか食いつなぎながら12月19日まで友軍を待ったが、食料や弾薬も尽きてきたためハイテは作戦を放棄、ドイツ軍の支配地域への撤退を命じた。ハイテたちはドイツ軍が初日に攻略しているはずのモンシャウ(英語版)に入ろうとしたが、この街は依然としてアメリカ軍が確保しており、疲労困憊していたハイテは部下将兵と共にアメリカ軍に投降した。ハイテと降下猟兵は何の戦果も上げなかったが、欺瞞のために降下させた300体の降下猟兵の人形が、連合軍にドイツ軍が大規模な降下作戦を行ったと誤認させて、グライフ作戦の効果とも相まって連合軍に大きな混乱をもたらすこととなった。
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