西フロリダへの船旅と急死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 05:50 UTC 版)
「ジョン・エリオット (西フロリダ総督)」の記事における「西フロリダへの船旅と急死」の解説
西フロリダへの船旅はマデイラ諸島まで悪天候に見舞われたが、それ以降は天気が良く、4月2日朝にはフロリダに上陸した。道中の3月8日には黒人奴隷を2人購入している。また、道中で頭痛に悩まされるようになり、フロリダのペンサコーラに到着したとき(4月1日)に頭痛が消えたが、その後も全く問題のない状態と突如激痛に襲われる状態が繰り返した。エリオットは西フロリダ人には概ね好印象を与えたが、この健康状態は西フロリダ人に心配された。 5月1日に西フロリダ副総督のモントフォート・ブラウン(英語版)と夕食した後、翌朝に総督官邸の書斎で首吊り自殺の遺体となって発見された。死去時の行動について、同時代の記述では「致命的な憂鬱の結果(中略)死去した」(indulge a fatal melancholy which [...] brought him to his end)、「庭を歩いているときに突如頭痛に襲われ、数分後には死体となって発見された」([...] as he was walking in his garden, and in a few minutes later, he was found dead)とされ、Robert Reaの伝記論文(1979年)では脳腫瘍により頭痛をきたし、最終的には苦しみに耐えかねて自殺したと判断している。 死後、ペンサコーラ砦の外で埋葬され、スループのトライアル(英語版)が20発の礼砲を放った。
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