フランク一家逮捕
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「カール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー」の記事における「フランク一家逮捕」の解説
ジルバーバウアー本人の証言によれば、1944年8月4日正午頃にプリンセンフラハト263番地にユダヤ人が匿われているという密告電話がアムステルダムSDにあり、ジルバーバウアーの上司ユリウス・デットマン(英語版)がその電話を受けたという(なおジルバーバウアー本人はこの密告電話の主について知らないと証言している)。それに基づいてデットマンはジルバーバウアーとユダヤ人課で雇っているオランダ人私服警官8人を出動させた。 プリンセンフラハト263番地到着後、隠れ家発見までの経緯についてジルバーバウアーは次のとおり証言している。「一階にはその会社の倉庫があり、倉庫の係員の一人はユダヤ人はどこに隠れているかとオランダ人警官から問われると、指を一本立てて階上を指しました。そこで我々は二階へあがり、会社幹部の二名のうち、一名を見つけました。オランダ人警官はただちにその男の尋問にかかり、『この建物にはユダヤ人が匿われているはずだ。そのことは訴えがあってすでに分かっている』と頭ごなしに浴びせました。その男は、今更その事実を否定しても意味はないと見てとると我々を先導して階段を上り、一階上の小さな踊り場に入りました。入ってみると奥の壁際に食器棚、またはたんすのような家具が置いてあるのがわかりました。その右側には窓がありました。会社の責任者はその家具を指さしました。それからその家具が一方に押し開けられるとその奥に家の最上階へ続くもう一つの階段が出現しました。私はピストルを抜き、オランダ人警官たちとともに階段を上りました。」。この証言はヴィクトール・クーフレルの証言と食い違うが、ジルバーバウアーの証言の方が正確であろうと言われている。 隠れ家に入ってフランク一家4名(アンネ・フランク、オットー・フランク、エーディト・フランク、マルゴット・フランク)とファン・ペルス一家3名(ヘルマン・ファン・ペルス、アウグステ・ファン・ペルス、ペーター・ファン・ペルス)、そしてフリッツ・プフェファーの計8名のユダヤ人を逮捕した。またアンネたちを匿ったヴィクトール・クーフレルやヨハンネス・クレイマンの2名も逮捕した。 この逮捕の際にジルバーバウアーはオットー・フランクのドイツ軍軍用トランクを発見し、どこで入手したのかオットーに聞くと彼は自分が一次大戦でドイツ陸軍中尉だったことを明かした。それを知ったジルバーバウアーは態度を一変させ、一瞬敬礼のポーズさえとりそうになったという。そして「どうしてそのことを申告しなかったのか。テレージエンシュタット送りですんだかもしれないのに」と述べたという。また他の隠れ家メンバーに対しても優しくなり、ゆっくりでいいと指示し直した。このやり取りについてはオットー、ジルバーバウアーともに証言が一致している。 またジルバーバウアーの証言によるとオットーが「二年間この隠れ家で暮らしていた」と述べたのに対して、彼が「とても信じられない」と返答すると、オットーはアンネの身長を示すドアの脇柱の一連の刻み目を示したという。 ミープ・ヒースの証言によるとミープは事務室でジルバーバウアーに尋問されたという。二人は話し方でお互いが同郷(ウィーン)と気づき、ジルバーバウアーは「ユダヤ人の違法行為に手を貸すとはお前は売国奴だ。厳罰に値する奴だ」と怒鳴ったが、そのあと一転して「ええい、おまえをどうしたらいいんだ」と動揺していたという。さらに少しして冷静になるとジルバーバウアーは「よかろう。個人的な好意として今日のところは勘弁してやる。しかし逃げようなどとしてみろ。かわりに亭主をしょっぴくからな」と脅したという。それに対してミープが「主人に手を出さないでください。主人は関係ないんです。」と食ってかかると、ジルバーバウアーは「馬鹿を言え。亭主もグルだということは分かっているんだ。いずれまた来るからな」と言って去っていったという。その翌日ミープは、ジルバーバウアーと電話で連絡を取り、SD本部へ行って身代金と引き換えに捕まった隠れ家の人たちを釈放してもらおうと交渉を試みたが、ジルバーバウアーは「今日は何もできない。明日の朝くるがいい」と言って追い返したという。翌朝ミープが行った時もジルバーバウアーは「気の毒だが俺の力ではどうにもならん。何の権限もないんでね。俺の上官に会ってみるか」と述べ、上官の部屋をミープに教えたという。ミープがそこに入るとSD将校たちが英語放送のラジオを聞いてるところで「出ていけ」と怒鳴られたという。廊下にはジルバーバウアーがいて彼は「な、わかったろう?」とだけ言ったという。しかしこれらミープ・ヒースの証言についてジルバーバウアーは「全くの作り話」と退けており、「ウィーンもしくはオーストリア生まれの女性の事については私は一切記憶にない」と証言している。
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