テウデリク1世とは? わかりやすく解説

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テウデリク1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 05:51 UTC 版)

テウデリク1世
Theuderic I
ランス王
在位 511年533/34年

出生 484年
死去 533/34年
配偶者 スアヴェゴータ
子女 テウデベルト1世
王朝 メロヴィング朝
父親 クローヴィス1世
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テウデリク1世(Theuderic I、484年 - 533/34年)は、フランク王国の創始者クローヴィス1世の息子の一人。クロヴィス死後の領土分割において、ランスを首都とする地域を継承した[1]

生涯

クロヴィスの長子(長男)である(ただし王妃クロティルドの子ではない[2])。フランク王国の創始者クロヴィスの死後、その王国はテウデリクを含む息子たちによって四分割され、テウデリクはランスを中心とする地域を統治した[2]。息子のテウデベルトをスカンディナヴィアに遠征させたほか、サクソン人と結んでテューリンゲン人を撃破し、北海バルト海交易に進出した[2]。また、531年よりチューリンゲン王国を攻撃、533年にチューリンゲン王ヘルマンフリートをツェルピッヒ城で殺害し王国を壊滅させた[3]

テウデリクは533年または534年に死去し、息子のテウデベルトが支配を継承した[1]。このテウデリクの分王国が、のちにアウストラシア(東王国)と称されるようになった。ブルグント王ジギスムントの娘スアヴェゴータと結婚した[4]

脚注

  1. ^ a b ル・ジャン、p. 24
  2. ^ a b c 柴田 他、p. 140
  3. ^ 成瀬 他、p. 51
  4. ^ ミュソ=グラール、p. 64

参考文献

  • レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィング朝』 白水社、2009年
  • 柴田三千雄 他編、『世界歴史大系 フランス史1』、山川出版社、1995年
  • ルネ・ミュソ=グラール 『クローヴィス』 白水社、2000年
  • 成瀬治 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 山川出版社、1997年

関連項目

先代
クローヴィス1世
フランク
511年 – 533/4年
次代
テウデベルト1世



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