宮家構成員一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:57 UTC 版)
東久邇宮稔彦王と妃聡子内親王は4人の男子をもうけた。 盛厚王(1916年5月6日 - 1969年2月1日) - 昭和天皇の第1皇女である成子内親王と結婚。以下の1男1女及び皇籍離脱後に基博(前名:秀彦。壬生家養子)・眞彦・優子の5人の子供が生まれた。1961年(昭和36年)に東久邇成子が死去すると、盛厚は、1964年(昭和39年)10月3日に寺尾佳子と再婚し、厚彦(寺尾家養子)、盛彦の2男をもうけた。1969年〈昭和44年〉2月1日に肺癌のため逝去。 信彦王(1945年3月10日 - 2019年3月20日) - 信彦の息子には東久邇征彦(1973年4月3日 - )がいる。 文子女王 師正王(1917年11月3日 - 1923年9月1日) - 4歳のときに起きた関東大震災で薨去した。 彰常王(1920年5月13日 - 2006年8月30日) - 1940年(昭和15年)に臣籍降下し、粟田彰常侯爵を名乗った。同家は日本で最後に創設された侯爵家となった。 俊彦王(1929年3月24日 - 2015年4月15日) - 1947年(昭和22年)の皇籍離脱と共に、在サンパウロ総領事の多羅間鉄輔未亡人キヌの養子となり多羅間俊彦を名乗る。ブラジルに移民し、その子息は祖父にちなんでアルフレッド稔彦と名付けられた。 東久邇宮稔彦王(東久邇稔彦) 稔彦王妃聡子内親王(東久邇聡子) 盛厚王(東久邇盛厚)
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