宮家・宮号とは? わかりやすく解説

宮家・宮号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 08:20 UTC 版)

皇族」の記事における「宮家・宮号」の解説

詳細は「宮家」、「宮号」、「世襲親王家」、および「御称号」を参照 宮家(みやけ)とは、日本において、宮号賜った皇族男子を祖とした一家のことである。宮家のうち天皇の子女や兄弟創設した宮家直宮家じきみやけ)という。 「宮(みや)」とは、元々、天皇および皇族の邸の事を指し転じて皇族尊称となった。さらに、「○○宮」との称号宮号)を男系男子孫たる皇族世襲することが認められるようになった当今天皇との血統遠近かかわらず代々親王宣下を受けることで親王身位保持し続けた宮家世襲親王家せしゅうしんのうけ)という。 そしてこれが「宮家」の源流であり、個別には宮号に応じて○○宮家」と呼ばれることがある。ただし、宮号授与宮家創立は、必ずしも同時ではない(例:邦憲王は1892年明治25年12月17日に「賀陽宮」の称号賜る諸王家一つに列せられたのは1900年明治33年5月9日)。 「○○宮」の称号は、近現代では成年婚姻機に親王・王個人称号として授与されており、本来その家族には冠さない。唯一妃のみが「○○宮妃」と通称される。当主であった親王又は王の薨去後嗣子たる男子がいない場合も、宮家祭祀配偶者女子引き継ぐが、それも絶えると祭祀行って絶家となる。 近現代では永世皇族制採用されているため、嗣子男系子孫)が絶えない限り宮家存続していくこととなる。 宮家読み現当創設創設者現人備考 秋篠宮 あきしの 文仁親王 1990年(平成02年)06月29日 上皇(第125代天皇明仁)第二男子文仁親王 4人 直宮家 常陸宮 ひたち 正仁親王 1964年(昭和39年)09月30日 昭和天皇第二男子正仁親王 2人 直宮家 三笠宮 みかさ 崇仁親王妃百合子 1935年(昭和10年)12月02日 大天皇第四男子崇仁親王 4人 直宮家 高円宮 たかまど 憲仁親王妃久子 1984年(昭和59年)12月06崇仁親王第三男子憲仁親王 2人

※この「宮家・宮号」の解説は、「皇族」の解説の一部です。
「宮家・宮号」を含む「皇族」の記事については、「皇族」の概要を参照ください。

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