葛勒可汗とは? わかりやすく解説

葛勒可汗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 02:24 UTC 版)

葛勒可汗(かつろくかがん、拼音:Gĕlè Kĕhàn、713年?[1] - 759年)は、回鶻可汗国の第2代可汗懐仁可汗の子。氏族は薬羅葛(ヤグラカル)氏、名は磨延啜(モユン・チョル[2])。初めは葛勒可汗と称したが、に入朝した際に英武威遠毘伽可汗(えいぶいえんビルゲ・カガン)の称号を授かった。


  1. ^ テルヒン碑文の東側5行目。
  2. ^ バヤン・チュルとする説がある(ポール・ペリオ)。
  3. ^ テギン(Tägin)とは、突厥や回紇における皇太子もしくは王子に与えられる称号。
  4. ^ 小松久男『中央ユーラシア史』p72


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